人から認められたい⁉承認欲求の根本にある必要なものは自己信頼感
あなたは人から認められたいと思っていますか?
「人から認められたいって思っているなんて恥ずかしい…」なんて感じるかもしれませんね。
でも、そんなことはないんです。
「人から認められたい」という気持ちは大なり小なり誰もが持っています。というか、そう思っていることが普通です。
「認められる」って言う表現をすると、なんだか大げさな感じがするかもしれないけれど、もっと簡単な表現で言えば、誰かが喜んでくれたら嬉しいとか、そう言う素直な気持ちも含まれる場合もあると思います。
「あなたすごいね」って言われたり、「信頼できるね」なんて言われたら嬉しい。言われたら、認められた気持ちになる。
こういった、「認められたい」っていう気持ちは承認欲求とも呼ばれます。
最近はそこそこよく聞く言葉で、ちょっとネガティブな場面で使われることが多いように思います。だけど、承認欲求そのものはネガティブなわけではなくて。
「承認欲求」がネガティブだというイメージには少し勘違いがあって、承認欲求とはほかの人から認められたいと言う意味だけだと思っている人がそのように決めてしまっているんですね。
もしくは他者から「認められたい」という思いと「愛されたい」と言う思いがごっちゃになってしまっているか。
そうじゃなくて、自分で自分を認めたいと思うことも承認欲求のひとつ。というか、本当の根本はこっちなんです。
根本に「自分で自分を認めて、自分を信頼したい」という欲求があって、その欲求を満たすことで人は前に進みます。
なんで人に認められたいと思うのかということと、どんな風に前に進んでいけるのかということについて、今回の記事では紹介したいと思います。
この記事の目次
「認められたい」の承認欲求って?
「認められたい」という欲求を承認欲求と言います。
最近は「承認欲求」と聞くと、ほかの人の気を引いて認めてもらおうとするというイメージが先行しすぎていて、承認欲求=ネガティブなイメージがとても強いと感じます。
あなたはネガティブなイメージを持っていませんか?
承認欲求とは、アメリカの心理学者のマズローと言う人が人の欲求について5つの段階に表したもののひとつです。
この5つの欲求とは、どれが良いとか悪いとかはなくて、人はこういった欲求を持っていて、段階的に進んでいくよって言うもの。
つまり、承認欲求にネガティブなイメージを持っているのは、勝手にネガティブな意味づけをしているだけでこれそのものにネガティブな意味はありません。
まったく、誰が勝手にネガティブなイメージをつけたのでしょうね~。
マズローの「人間の欲求5段階」から承認欲求の本当の姿を読みとってみると…
アメリカの心理学者マズローが主張した人間の欲求の5段階はとても有名で、心理学を学んだらおそらく必ず出てきます。
私も学生の頃に心理学の授業で出てきました。いや~、懐かしい…。(20年前とかになるのか… 月日の流れははやい…)
5つの段階は「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」の5つです。
これらはそれぞれ人の欲求としてあらわれるもので、満たされることで順番にあらわれていくってなっています。
5つの段階の順番はこんな感じ。
人の欲求として一番下の土台部分にあるものが「生理的欲求」で、これが満たされたとき、「安全の欲求」が出てくる。
「安全の欲求」が満たされたとき、「所属と愛の欲求」が出てくる。
「所属と愛の欲求」が満たされたとき、「承認の欲求」が出てくる。
「承認の欲求」が満たされたときに、「自己実現の欲求」が出てくる。
という感じで、レベルアップしていく、というもの。
つまり、一番高度な欲求である「自己実現の欲求」に向かって行くうえで、満たされている必要のある欲求のうちの一つが「承認の欲求」です。
順番的には比較的高度な欲求ですよね。
これ、すべて満たされている状態でなければ、自己実現の欲求を満たすことはできないのです。だから、承認欲求というものを持っていまいと言う人なんて、存在しないし、まったくネガティブでもありません。
むしろ、比較的高度な欲求です。
ちなみに5つの欲求をざっくりと説明すると、
- 生理的欲求とは、「お腹すいたから何か食べたい」とか言うような生きるための最低限の欲求です。
- 安全の欲求とは、危険から身を守りたいという欲求で、安心して眠れる家があるとかいうことで満たされます。
- 所属と愛の欲求とは、家族や何かのグループなどといった集団に自分の居場所があってほしいという欲求で愛されていたいという欲求です。
- 承認の欲求とは、認められたいという欲求です。
- 自己実現の欲求とは、ありのままの自分が持つ個性や能力を生かして自分のやりたいことをしたい。さらにそれをすることで社会や人に喜んでもらいたいという欲求です。
この、マズローの5段階は、「科学的根拠に乏しい」とか批判もあるらしいのですが、とっても理にかなっているというか、本当にそうだなって思います。
間違いなく、まず生きることができて、身の安全が確保されて、そこから愛されている感を得られて…という順番で必要だろうと思うのです。
幼少期に愛されている実感が得られなかった人が承認欲求が強いと言われているけれど、それはおそらく承認欲求ではなくて、その前の段階の「所属と愛の欲求」が強いのであって、おそらく、「承認欲求が強い」という認識が間違っているんですね。
幼少期に愛されている実感が得られなかった人の場合は、「愛されたい」が正解です。「認められたい」とは中身が違う欲求です。
本当の意味の承認欲求とは、「愛されたい」の次の欲求で、「認められたい」です。
つまり、承認欲求にネガティブなイメージを持っている場合、ここの意味がごちゃ混ぜになっていてきちんと理解ができていないことが多いってことですね。
きちんと理解できていなくても、これを読んで理解できたから、もう大丈夫ですね(#^^#)
「承認欲求」の根本にあるもの
承認欲求とは「人から認められたい」と感じているものではありますが、実はその根本には「自分で自分のことを認めたい」という思いがあってそっちが本命です。
「自分で自分のことを認めたい」と思うのは当然のことで、向かっていく先は「自己実現の欲求」だから。
先にもご紹介した通り、自己実現の欲求とは、「ありのままの自分の個性や能力をいかして自分のやりたいことをやり、それを通してほかの人や社会の役に立ちたい」という欲求です。
ここにいくためには、ありのままの自分の個性や能力を生かして自分のやりたいことをやれるようになることが必要なんです。
ありのままの自分の個性や能力を生かすためには、自分自身で「ありのままの自分」を認めて受け入れる必要があるわけです。
つまり、自分で自分を認める必要があるんですね。自分でダメだと思っているのにそれを自分の表現としてするのってなかなかできないですからね。
自己を表現するためには自分のことを認める必要があるんです。
自分で自分のことを認めることができるようになるためのフックとして「他者から認められたい」があるのです。
でも、根本にあるのは「自分で自分を認めたい」なので、そっちができなければいつまでも「他者から認められたい」で止まってしまうというわけ。
実は「他者から認められたい」って言い訳で、他者がどんなに認めていても、自分が「他者から認められた」っていうことを受け入れないと「他者から認められたい」のままになるんです。
本当に認められたいのは自分自身だから。
結局、根本は「自分で自分を認めたい」なので、実は「他者から認められたい」ってほかの人を見ているよりも自分で自分のことを見て、自分で自分のことを認めてしまった方が早く承認欲求が満たせて次のステップに進めるんですよね。
承認欲求が本当に満たされるのは、自分で自分を認められた時なんです。
とはいえ、その「認められたい」の理由が実は「愛されたい」だということも決して少なくないわけですが。
もしも、「認められたい」と感じているのがその前の段階の「愛されたい」だった場合についてはまた別の記事で紹介したいと思います。
「他者から認められたい」という承認欲求は、自分で自分を認めることによって、はじめて本当に満たすことができる欲求なんですね。
「ほかの人から認められたい」という承認欲求の中にある本当の望みは自分信頼感
「ほかの人に認められたい」と思う欲求の本当の望みは「自分で自分を認めたい」という願望です。自分で自分を認めることができて、自分を信頼できるようになったときに、本当の望みであった自己実現ができるからです。
自己実現とは自分らしさ、自分の個性や能力を生かして、自分を表現することです。
そしてさらに、そのように自分を表現することでほかの人に喜ばれたり、社会の役に立っ足りすることができたなら、それって最高に幸せなことだとは思いませんか?
人はみんな生まれながらに、家生まれる前から自分を自由に表現したいと思っているのです。
その思いを実現するためにいろいろ迷ったり悩んだり、もちろん楽しいこともしてみたり。たくさん試行錯誤しながら毎日を送っているというわけなんですね~。
あなたも、もしも「ほかの人に認められたい!」と感じているのならば、あなた自身があなた自身のことを認めることができたなら、一歩前に進むことができるかもしれませんね!!
それでは!
土出麻美でした。
またね~(*´ω`*)