「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

心に響く神の声に救われたことはあるか、という質問にお答えします

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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心の中に声が聞こえ、その言葉に救われる…そんな経験をされたことが、あなたはありますか?

 

今回は、そのような質問が送られて来ましたのでその質問にお答えしたいと思っています。

 

これに答えるにあたっては、このように聞こえたり、何かお告げのようなものを受け取ったときの私の考え方についても説明させてもらいたいなと思っています。

 

あなたは、心や頭の中に響く、声やイメージなどを受け取ったと感じたことはあるでしょうか?

 

 

心に響く、神の声とは

 

心の中や、頭の中でふと声が浮かんだりイメージが浮かんだりして、「神様のお告げだ!!」と思った経験、あなたはあるでしょうか?

 

「そんな経験ない!!」と思う人も「ある!!」と言う人もいることでしょう。

 

これについて、まず、「神」と呼ぶものの存在の概念をどのように持っているか、というところが意外に重要なポイントかな、と、私個人的には思っています。

 

 

「神」って何だろう?

 

はっきり言ってですね、「神」という存在の定義は人によって違います。ここ、言い切ります。確実に違います。

 

その人の宗教観、価値観、信じるもの…様々な要因によって「神」の定義は違います。人によって違うとわかっていないと、ややこしくなります。

 

例えば、「鉛筆」のように固定の物質の名称であれば、その認識はよほど変わったものでない限りみんなが「鉛筆だ」と共通で認識していますが、「神」という概念は鉛筆ほど共通認識されていません。

 

神とは日本人がよく感じているようにあらゆるものに神が宿っているとも考えられますし、「万物創生、神羅万象の神こそが神だ」と言う人もいるでしょう。

 

それだけではなく、生きている人や動物にだって「神様だ」と感じることだってありますよね。

 

そのどれも間違いではないと私は思っています。

 

つまり、私の認識は、すべてのものに宿る、物質を超えた魂のようなものはすべて神とも認識できると思っています。

 

哲学者デカルトが言った二元論のうちの肉体などの物質、有限のものではない方の、「精神面で消えることのないずっと続くもの」はすべて神と言い換えることができると考えています。

 

実際に、「神」という言葉には魂や霊魂と言うような意味も持っています。

 

なので、すべての人の体の中の精神的な部分に一般的に言われる魂と言われるものが入っていて、その存在は「神」と言えると考えています。

 

私が考えている「喉神のどがみ」という存在も、そういった意味で「神」だし「魂」です。

 

ただし、この概念は人それぞれ違っていて良いと思っています。何を「神」だと思うのかは個人個人の自由である、と考えています。

 

つまり、あなたが「神だ」と思うものは神です。

それと同時に、あなたの中に宿る「命」そのもの、それも神です。

 

 

心に響く声とは?

 

耳から聞いたわけでなく、「心や頭の中に声が響いた」と感じることがあります。

 

それは「声」というかたちで認識することもあれば、映像のようなイメージの時もあるでしょうし、なんとなくの感覚で…ということもあるでしょう。ひらめきの場合もあると思う。

 

こういったものに対して「神の声だ!!」とあなたが思ったなら、それはあなたにとって神の声です。

 

それでですね、細かいことを言うと、こういった声やイメージ、ひらめきなどにはいくつか種類があります。

 

これら声やイメージの正体は、あなたの中にある、普段認識できていなかったあなた自身の潜在意識からのメッセージかもしれないし、それこそあなたのハイヤーセルフかもしれないし、あなたではない、どこか大きな神社の有名な神様だということもあるかもしれません。

 

これらの正体がわかると言う人もいれば、わからない人もいるし、本当はわかっていなくて勘違いしているだけなのに、「私はわかっている!!」と信じている人もいるでしょう。

 

どれが良いも悪いもないと思っています。

 

多くの場合のこのような心や頭に響いた声やイメージは、あなたの中にある潜在意識のメッセージをあなたが認識できたものじゃないかなぁ…というのが、私の印象です。

 

どれだったら良いとか、そういうことではなくて。

 

ただ、自分以外の大いなる神などからのメッセージを受け取るときも、潜在意識の魂とか言うような部分を通して受け取ると思うのですが…。

 

大いなるものからメッセージを受け取った!!って思うとなんだかすごいことができた気がして、嬉しいと感じると思うのですが、実際のところは自分の中のメッセージを受け取れるようになることの方が大切なことだと思っています。

 

どれが正解とかありませんけどね。

 

自分の深い部分とつながれる方が大切かなぁと、そう思います。

 

 

「心に響く神の声に救われたことはあるか」の答え

 

それでは質問の答えにうつりたいと思います。

 

「心に響く神の声に救われたことはあるか」は、私の「神」というものの認識と「神の声」という認識で言うと、何度も何度も救われています。

 

というか、自分がどうしたら良いのかというのは本来自分にしかわからないもので、答えは自分の中にあります。

 

日頃は気がつかないだけですね。

 

 

自分の中以外の声やイメージ

 

自分の中以外の声やイメージを受け取ることがあるか、という質問であれば、それは、あります。

 

自分以外のものの声やイメージを受け取るのをチャネリングと言ったりするんです。意識のチャンネルを合わせるという感じ。

 

これは、ちゃんと使いこなせている人は受け取るようにすることと受け取らないようにすることをちゃんと自分で使い分けられるんですが、私の場合は、未熟者なので急に勝手に受け取ってしまったりすることがあります。

 

 

どこの何かもわからない声を聴いたりすることもあれば、ないものが見えるときもあるし…って、たぶん、こんなことを書いたら「精神科行け」とか心無い人に言われそうですが(;^_^A

 

 

でも、子どもの頃とかも普通の人が見えないものが見えているようなことはありましたが、特に何もなく生きています。

 

特に誰にも迷惑かけていませんし。

 

いつも見えているわけではないですよ。未熟者なので。

 

ほかの人のイメージとか何かが見えることよりも、自分と向き合えることの方がずっと大切だと思うんです。

 

自分を救えるのって、自分自身であるということに気が付ける方がきっと幸せ。

 

あなた自身の中に、あなたの神はいる。私の認識は、そうなっています。

 

 

心に響く神の声に救われたと感じているあなたへ

 

あなたの心に響いて、あなたの声を救ったのは、あなたが「神だ!!」と思っているのであれば、間違いなくあなたにとっての神です。

 

「神」という存在の定義はとても幅広くて、人によって違います。ですが、あなたの中に間違いなくあなたを守っている神が存在しています。私は、そう考えています。

 

 

「すべての人にその人を守る神(喉神)がいて、それがいるから喉仏は仏様が座禅を組んでいる形をしている。そして、それはその人の魂だ。」というのが、私の考えです。

 

 

あなたを救ったメッセージは、あなた自身が奥深くに持っている自分へのメッセージを、あなたの神があなたに認識できるかたちに引き上げた。そして、あなたはそれに救われた。

 

つまり、あなたは自分で自分を救うことができる人、ということですね!

 

それができて、本当に良かったんじゃないでしょうか?

そんなふうに、私は思っています。

 

 

それでは!
土出麻美つちでまみでした~。

またね!

 

 

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