「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

高次の存在や目に見えないものの声が聞こえなくても良いと思う

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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スピリチュアルな人たちの中でよく言われているのが、「高次の存在」や「高次の自分」等といった、目に見えないものからのメッセージを聞くとかいう話。目に見えないものからの言葉が聞こえるって、なんかすごい気がしますよね。そういう話を聞いて、スピリチュアルが好きな人は「私もそういう声が聞いてみたい!」と思っている人も多いのではないでしょうか?

 

私も珍しいもの好きなので、そういう話を聞くと「えー!!」って興味津々で聞いてします。聞いてみるためにいろいろ試してみたり、セミナーに行ってみて、それでもダメだった、なんて人もいるかもしれませんね。でもでも、ちょっと考えてみてください!それって本当に聞く必要があるものなのでしょうか?

 

目に見えないものの声って

目に見えないものの声って本当に存在しているのか、について証明することができるものはおそらくないのではないかと思います。ただ、そういったものがない、という証明もない、それが今の現実の状態です。

 

そういった「高次の存在」が本当にいるのかいないのかは証明のしようがないのですが、私はいるんじゃないかなぁって思っています。そして、目に見えないものの声ってのは感じることは誰でもできるようになると思います。ただし、目に見えないものの声が聞こえても、それは「高次の存在」ではない可能性があると思っています。

 

目に見えないものの声を聞くサイキック能力

目に見えないものの声を聞いたりするような能力をサイキック能力と言います。そういいたサイキック能力などといった特殊能力を持つ人というのは実際にいるわけです。特殊能力を持っている人はいわゆる「高次の存在」のメッセージを聞いたりすることができると考えられます。本当の意味での特殊能力者でなくてもなにがしかの声を聞くことはできると思います。

でも、それが本当に「高次の存在」なのかはわからない。

 

私自身、お告げか何か、自分の妄想か、ハッキリと証明することはできないですが、何か聞くことができることがあります。ただし、私は特殊能力者ではありませんので、それが、高次の存在なのか、ただの通りすがりの浮遊霊なのかの区別はつきません。

 

「チャネリング」と言って周波というか、感覚を合わせて自分の中に焦点を合わせて自分の声を聞こうとしたり、そういった目に見えない存在のメッセージを聞こうとする方法があるのですよ。自分の意識のチャンネルを合わせる、という感じなのですが。

 

一度、眠さでぼんやりしていた時に、無意識にどこかとつながってしまっていたようで、とてもたくさんの声が聞こえたんです。それは、数えきれないぐらいたくさんの声で、聞き取ることができないぐらいにざわざわといろんな話をしている声でした。

 

どこの誰が何の話をしているのかもわからない。その時に思ったんですよね。声を聞くことができるような存在ってすごくたくさんいるんですよ。その中で、本当に高次の存在と言われるような存在ってきっとわずかなんです。あとはきっと普通の人みたいな感じの存在じゃないかと思うんですよね。

 

本当の意味での特殊能力を持つ人であればその声の存在の正体を感じることがおそらくできるでしょう。でも、それがはっきりわかる人ってほんの一握りではないかと思います。どういった存在かわからずに「この声は高次の存在だ」と信じている人の方が多いのではないのかなと思います。それが良いとか悪いとかではなくて。

 

通りすがりの浮遊霊のひとり言とか聞きたいですか?

その声の存在がどんなものかわからない人は、もしかしたら通りすがりの浮遊霊のひとり言を「高次の存在からのメッセージだ!」と信じているかもしれない、という可能性もあるわけですが、それでもそういった声を聞いてみたいと思いますか?

 

聞いてみても良いと思うけれど、聞こえる声が高次の存在ではなくて通りすがりの浮遊霊かもしれない、と思ったら、声が聞こえてもそんなに真に受けないで、自分で判断してみようかな?と思うかもしれませんね。そのぐらいの感覚でいるのが良いと思います。

 

高次の存在ならいうことをそのまま信じて、浮遊霊ならなんとなく聞くというよりも、どんな状況でも一番優先させるべきなのはあなた自身がどう感じたか、という自分自身の感覚であるべきです。

 

特殊能力を持ちたいか

見えないものの声を聞くことができて、その声がどんな存在かがわかるぐらいの特殊能力が欲しいと思いますか?それだけの特殊能力があれば、自分で高次の存在からのメッセージも聞くことができるし、浮遊霊を信じてしまったりしないかもしれません。

 

それだけ考えたら、特殊能力を持っているってすごく良いことのように感じますよね。興味のない人にはどうでも良いことかもしれないけれど、そういったことが好きな人にとってはすごく魅力的に感じるかも。

 

ですが、特殊能力を持って生きていくということはそんな簡単なことではない、と私は思います。普通の人として生きていくことはできないと思って良いんじゃないかな?それなりの覚悟が必要だと思います。だから、私はいらないなって思います。今をただ、生きていること、それが良いと思うから。

 

いま普通に生きていて、「普通はイヤだ。特別になりたい」とあなたは思いますか?特別な存在になって生きていく。何をもって特別として、何をもって普通なのか、明確な違いって何処にあるのかわかりませんが、それも良いのかもしれませんね。

 

 

内なる自分の声

「高次の存在」の声を聞かなくて良いから「内なる自分」とか「大いなる自分」や「ハイヤーセルフ」の声を聞きたい、とあなたは思うかもしれません。「ハイヤーセルフ」とつながることはスピリチュアルの好きな人からしたら絶対にしておきたいことですよね。

 

それでは、「ハイヤーセルフ」とつながることは「ハイヤーセルフの声」を聴くことなのでしょうか?

 

声にこだわる必要がない

「ハイヤーセルフからのメッセージ」と聞けば、連想するのが「メッセージが聞こえた」ということではないですか?つまり、言葉としてとらえることだと思いがちでは?

 

「ハイヤーセルフ」だったり「内なる自分」とつながることは「声」や「言葉」としてメッセージを受け取るだけではありません。むしろ、そこにこだわる必要がないと思います。声や言葉だけがメッセージではないからです。あなたの中に、イメージだったり、感覚だったり、「なんとなく」そんな気がする…それが、メッセージだったりするからです。

 

「言葉」に変換すると少しズレる?

私たちは普段、頭でイメージしたことや感覚なんかを言葉に置き換えて考えていますよね。言葉ではない感覚が起こって、それをいつも言葉に変換して考えています。音を伴った言葉です。音を伴った言葉、つまりは頭の中のひとり言です。

 

その、言葉に変換する時に間違えたりズレたりすることがあるんですよね。だから、正しく感覚を感じて認識することって大切なんです。

 

私が今読んでいる本で、ベンジャミン・リベットという研究者が書いた本があるのですが、その人が、思いついたことを言葉にすると微妙に変わってしまうから言葉にしないで考えるようにした、というようなことを書いている部分があるんです。引用します。

 

言語的表現は、その言葉に帰属する意味に制約された、近似でしかありません。したがって、非言語的な方法で、現実を考えてみることに決めました。つまり、完全で、直感的にわかりやすい方法で、実際の状況を把握してみることにしたのです。それ以降、実験の問題について考える際、実際、私は非言語的な方法で問題を捉えてきました。

「マインド・タイム  脳と意識の時間」 (岩波書店)

これってすごく面白くないですか?言葉にしないで考えたり捉えたりするって、難しいですよね!言葉にしないで考えるって、どうやったら良いのか方法が私はわからないですもん。でも、このリベットさんの言葉を借りるなら、言葉にしてしまうとその言葉の意味に制約されてしまって見落とされる部分があるってことなんですね。

 

「非言語的な方法で現実を考える」方法がわからない私はそっちを習得したいです。

 

だから、声や言葉で受け取るのではなくて直接感覚として受けとることの方が大切なんですよ。すごく難しいですよね。私たちが普段、どれだけ言葉に頼っているかがよくわかりますね!

 

余談

余談になるのですが、私、昔、思っていたことがあるんですよ。私たちって普段、頭の中で考えることを言葉、つまり、音にして考えているでしょ?じゃあ、ろうあ者、つまり、生まれたときから一度も音を聞いたことのない人はものを考える時、どんな風に考えているんだろうって。

 

音を知らないから音にして頭の中で話をすることができないでしょ?中途失聴の人は音を知っているから音で考えているのかもしれないけれど、音自体を知らないなら…

 

この答えは、直接たずねてみたことはないのですが、たぶん、手話で考えているんじゃないかなぁと思います。なぜなら、知り合いがぼんやり考え事をしているときにひとりごとみたいに一人手話(?)しているところを見かけたことがあるからです。その時に聞いてみたら、「考え事していた」と言っていたから、たぶんそうなんだろうなぁって思っています。

 

言葉って人とコミュニケーションとるためだけでなく、自分自身のためにも必要不可欠なものなんですね。

 

見えないものの声よりも自分の感覚を

「目に見えないものの声」は聞くことができたなら面白いでしょうね。でも、聞こえる必要はないと思いますよ。もし聞くことができたとしても、それはその通りにするべきものではなくて、それを聞いたうえであなたがどうするか、あなた自身で判断することの方が大切です。何かからのメッセージでその通りに実行していけば良いというものではありません。もちろん、あなたが「それが良い」と思って実行するならそれで良いと思いますが。

 

「言葉」というものはとても大切なものだけれど、ときにそれはその意味に制約されてしまうものでもあります。言葉を聞こうとするのではなく感覚でとらえられることも大切。何かからのメッセージを聞こうとするのではなく、感じるようになれることが良いです。

 

「内なる自分」や「ハイヤーセルフ」はあなたの中にあるものですから、言葉に頼らなくても感覚でとらえることができるはずなんですね。だから、「メッセージ」という言葉を聞こうとする必要はないのです。本当に「内なる自分」や「ハイヤーセルフ」とつながりたいと思うなら、あなた自身の感覚をしっかり感じるようにすることが大切なんです。

 

ふとした瞬間に感じた感覚や、なんとなく…という感覚をしっかりつかむようにしておくことが「内なる自分」や「ハイヤーセルフ」とつながることになっていきますので、音や言葉を聞こうとして外にばかり気がいってしまうといっそう「ハイヤーセルフ」とつながることが難しくなってしまうかもしれませんよ。もっとあなた自身に目を向けてみてくださいね。

 

私は非言語で考えることができるよう目指したいと思います。

 

土出麻美(つちでまみ)

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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