2016/11/26

ぶりっ子は嫌いですか?  ~自分を尊重した生き方とは

 

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小学生2人を子育て中の主婦です。 マイペース。 いろいろ考えたり自分なりに細かく分析してみようとしたり、妄想したりすることが好き。

フリーアナウンサーの小林麻耶さん、ご存知ですか?現在体調不良出活動を休止しているようですね。(2016年9月にブログを更新されたようです)彼女は普段、「ぶりっ子」とよく言われていて結構厳しいことを言われたりしていましたが、体調不良で活動休止してからは結構「本当はすごく頑張り屋の良い人」とか「プロ意識が強い」と言われて褒められていますね。あなたはあの人のような人をどう思いますか?

ちょうどどこかの記事で、小林麻耶さんの妹さんのご主人である市川海老蔵さんが「普段から本当にあんな感じなんですよ」と発言していたと書いてあったのですが、私(筆者)もきっとあの人は普段からあんな感じの人なんだと思います。「ぶりっ子」と言われて嫌な気持ちをしたり、悩んだりしたことがたくさんあるのだろうなぁと思います。本当にわざと「ぶりっ子」をしているのではなくて、あのままのキャラクターなのだと思いますよ。

 

なぜそんな風に思うのかというと、実は、私(筆者)自身も子どものころから何年か(もしかしたら10年近く?)「ぶりっ子」と言われていたことがあって、とてもイヤな思い出があるからです。

 

「ぶりっ子」脱出への道

はじめて「ぶりっ子」と言われたのは確か、小学生3年生のころだったと思います。確か、学童保育の部屋で、同級生の男の子に言われたんですよね。その時の風景、言葉、言い方、今でも覚えています。

「お前ってなんでそんなにぶりーっこなん?」って、グーにした両手を口に当てて、お尻を突き出すようにして言われたのですよね。私自身はそんなつもりはなかったので、ポカンとした感じと、馬鹿にされたような嫌な気持ちと。

 

「ぶりっ子」と言われることって全く嬉しいものではありません。言われたことのない人にはわからないかもしれないですが、屈辱的な感覚に近いものがあります。自覚がないので、なぜ、そう言われるのかがわからないのです。ただただ嫌だったので、どうしたらそう言われることから抜け出すことができるのか、思考錯誤が始まりました。

 

今思えば「そんなんじゃない」って放っておけばよかったんですけどね。当時はそんな風に思えなくて、そう見られるのがイヤだった。

 

とにかく男の子っぽく、ガサツにしてみる

まず、普通にしていて「ぶりっ子」と言われたのですから、何か変えるしかないと考えたのですよね。そこで考えたのが「ぶりっ子」の反対といえば「男らしい」かなぁと。男っぽくふるまうように気を付けました。

とにかくガサツに、言葉遣いも少し乱暴にすることにしました。この方法は…少しは効果があったのかなぁ?はっきりとはわからないですが、私自身にあっていたような気がします。もともと男の子に生まれたかったと思っていたし、プラレールとか男の子のおもちゃがうらやましかったし。母親には注意されることが増えたけど、少しは男の子っぽい子になった気がします。

 

このおかげで今でも女性でも男性でもない、中性っぽいタイプの人間ですから。ただ、大人になった今思うのは、「そんなにガサツにしなくて良かったかなぁ?」ということ。やはり、丁寧な方が良い気がします。なんだか、中途半端にガサツな部分とやけに気にして丁寧にしないと気が済まない部分と差ができてしまったような…

まぁ、これはこれで良いのかもしれないですけどね。

 

低い声で話してみる

実は昔は高い声がずっとイヤだったんですよね。「声優になれるんじゃない?」なって言われたこともあるけど、声が高ければ良いというわけではないですしね。

低い声がカッコ良くてうらやましくて、意識して低い声でしゃべるようにしてみました。声が低いと「ぶりっ子」枠から出られると思って。自分では良い感じの低音でしゃべっているつもりでいたのですが、友達に「怒ってるの?」と言われてしまいました。「いや、低い声でしゃべろうと思って。」といったら、「怒ってるみたいで怖いからやめて。」と言われてしまいました。

低い声作戦は大失敗でした。

 

ですが、少し大人になってくると、この高い声もなかなか良いものだと思えるようになっていきました。いまだに電話に出たら電話口のセールスの人とかに「お母さんに代わって」とか言われるんですが、「一緒に住んでいませんが?」って言うとたいてい電話の向こうのセールスの人はめちゃくちゃ焦っています(笑)

 

クールな表情をつくってみる

今度はクールに、ちょっと無表情な感じに挑戦してみました。「ぶりっ子」と呼ばれている人を想像してみたらわかると思うのですが、よく表情が動くのですよね。クールな人ってあまり表情動かないでしょ?

美容室で鏡を見ているときにひらめいて、自分で鏡を見ながら無表情にしていたんです(笑)できるだけ眉毛や額のあたりの力を抜いて、動かさないようにして、きりっとした目元を演出するようにします。「ぶりっ子」枠にクールで表情動かない人はいないですからね。

 

ですが、これも怒ってると思われてダメでした。かなり怒っているみたいで怖いようですね。美容師さん、怒ってるかと思ってドキドキしたようでした。まぁ、確かに急に無表情になったりしたらビックリしますよね。

 

サバサバした話し方を真似てみる

女の子でも、さばさばした感じの低いトーンで話す人って結構たくさんいますよね。それがうらやましくてね~。真似をしてサバサバ低いトーンで話してみました。正しくはサバサバ低いトーンで話しているつもりでした。

何でだったか忘れたのですが、録音されていた自分の話し方を聞くことがあったのです。それが、愕然とするぐらい全くサバサバできていなかったんです!!!もしかしたら、普通の時よりはましだったのかもしれないのですが、なんというか、ところどころ舌ったらずというか、どう表現したら良いのかわからないのですが、なんせ思っていたのと全然違いました。

 

そもそも普段から、もっとテキパキとした話し方をしているつもりだったけど実際は違っているのですよね。しかも自分が思っているような話し方ができないんです。なんか違うんです。子どもっぽいというか、なんというか…

これはあきらめるしかありませんでした。

 

細かい指摘とあきらめ

これまで紹介してきたことのほかにも細かい指摘もありました。「その言い方がぶりっ子やねん」とか、「その動きがぶりっ子やねん」とかね。そう言ったことって無意識でしていることなので、直すのってほとんど無理なんですよね。無意識でしているしぐさとか、話し方って勝手に出ているものだから簡単には変えられない

 

だから、あきらめることにしました。「ぶりっ子って言われたらかわいいって言われたと思うようにしよう」と決めました。そう決めてから、不思議と「ぶりっ子」って言われなくなりましたね。「ぶりっ子」っぽくなくなったのか、大人になってそんな風に言うことがなくなったのかはわからないですが。

そもそも、むきになって変えようとする必要がないことだったんです。これが、「このままの私」として自分が認めていればほかの人が何て言おうと、そんなことはどうでも良いことだったんですよ。だってそんな風に言う人と一生生きていくことってないのですから。一番最初に「ぶりっ子」といった男の子だって今はそんなこと覚えてもいないだろうし、会うこともない。

そんな、ほとんど関係のない人の言葉に惑わされる必要なんて全くないんです。そんなことよりも、一生生きていく自分自身を、そのまま認めて尊重していくことの方がずっと大切なことだったのです。

 

自分らしさを認めて尊重すること

 

自分らしさを認めて尊重することって大切です。私(筆者)自身も結局あきらめるという形ではありましたが、「ぶりっ子」っぽいと言われることもある自分の存在をを認めて、そんな自分を尊重していけるように少しずつ進んでいけた結果が「ぶりっ子」と言われなくなったことでもあるのかな、と思うのです。

 

「ぶりっ子」の本当の意味とは

 

「ぶりっ子」の本当の意味ってご存知ですか?「男性の前で気を引くためにわざと女らしく振舞うこと」です。男性の気を引くためにわざとしているってことですよ。つまり、わざとじゃない私(筆者)は最初から該当していないのです。とんだ言いがかりをつけられていたのです。

そして、そんな言いがかりのために長年苦労してきたというわけです。本当にバカバカしいことでしょ?でも、「自分は違う」って認められたくて、本質は違うわけだからそのままでいいのに、認められるためにわざわざ自分を変えようとしていたんです。わざとじゃないって自分を通すことができなかったのですよね。弱い自分が、他人の言葉を気にして他人に認められるために、きちんと本当の自分を認めてなかった。

 

でも今なら、「なんで私がわざわざ男の気を引くために自分を演じないといけないの?」と言えます。男性って基本的にみんな女性が好きだと思っているのですよね。だから気を引く演技なんて必要ないと思っています。

もちろんそうじゃない人もいるのでしょうけどね。

 

人は自分の視点からしかものを見られない

人は自分の視点からしかものを見られません。だから、自分の普通と違うことは「ウソ」だと思ったり「わざと」だと思ったりしてしまうのですよね。わざと「ぶりっ子」しているように見えたけど本当は違うかった。ただそれだけのこと。

本当はどうかなんて、その人にならなければわからないことですが、その人本人がわかっていれば良いことでもあります。人の言うことなんて気にしなくて良いのです。自分がわかっていれば

 

思い出してみれば、「ぶりっ子」の件が過ぎてからは、「思わせぶりだ」と指摘されたこともありました。男性が「自分に気があるんじゃないか」って勘違いしてしまうような言動があるらしいです。いろいろ細かいことを指摘されました。また、運悪く私(筆者)自身が耳が悪いので声が聞こえにくい男性だとすぐに近づいちゃうんですよね。

でも、そんなこと知らないですよね。聞こえにくいって言ってるんだから、大きい声で話してくれたら良いだけのはずです。みんながみんな勘違いするわけではないですからね。たまたま勘違いしやすい人がいるだけで、勘違いしやすい人はいつも勘違いしやすいはずですからね。

 

勘違いする人はその人の自由で「自分に気があるんじゃないか」って勘違いして幸せな気分になっていたら別に良いし、私は私でそのことに関係なく自由に自分の幸せを見ます。何で私がわざわざ自分を変えないといけないのかがわからないですよね。無理して自分を変える必要ないと思います。

 

異性の気を惹くことは悪いことなのか

ここまで、「ぶりっ子」について少し否定的なイメージで書いてきましたが、そもそも異性の気を惹こうとすることは悪いことなのでしょうか?

同性が好きな人ももちろんいますが、多くの人は異性が好きです。生物学上、子孫を残すためには必要なことですから男性は女性が好きで、女性は男性が好きなのは当然のことです。ですから、異性の気を惹きたいと思うことはごく自然なこと。つまり、悪いことではありません。それが悪いことかのようになっていることが不自然なだけです。

だから、したい人はしたら良いのですよ。それを全く関係のない人が批判する方がおかしいのです。それがイヤだと思う人は見なければ良いだけ。どんな人も自由が保障されていますからね。人をだましてものを奪うとか、そういうことは当然いけないことですよ。そういうことではなくてただ自由に人が自分のしたいことをすることは何も悪いことではないのです。

 

すべて国民は個人として尊重される

日本は憲法の第13条で「すべて国民は個人として尊重される」とされています。すべての人が個人として尊重されなければならないのですよ。「公共の福祉」を犯さない限り、すべての人が尊重されないといけないのです。この内容の中では誰かが誰かのために犠牲になることなんて一つも勧められていませんみんながそれぞれに尊重されて、それぞれが自由を保障されているんです。

 

みんなが尊重されていないといけないのに、自分の意思に反して自分を変える必要なんてないのです。誰かの意見を気にして本当の自分の姿を否定する必要なんて、全くないのです。わざと異性の気を引いていても良いし、別に気を引いていなくても良いのです。勘違いされたとしても自分を変えなくても良いし、勘違いされるのがいやだったら変えても良いのです。(私は放っておきますけどね)どんな人もすべて認められて尊重されないといけないです。

憲法って一番最低限の基礎の部分で、一番守られないといけないことですからね。社会規範やいろんな決まりごとはそういった基礎があってその上に成り立っているものなのです。

つまりは、自分自信を尊重することってコンプライアンスでもあると思うのです。(*コンプライアンス=法令順守。法律や規則、規範を守ること)日本の道徳上は、誰かのために犠牲になることや周囲に合わせて自分を曲げてしまうことが美徳とされていたりするのですけどね、本当はすべての人が平等に尊重されないといけないのですよ。立派な人が尊重されないといけないとかじゃなく、ね。

みんな平等にその存在が尊重されて、みんな幸せになる権利がある。

人から言われることで自分を曲げたりせずに自分らしさを尊重して生きていくことって勇気がいることかもしれない、でも、あなた自身が自分のことを認めて尊重していくことはとても大切出必要なことなのです。

 

人に言われることを気にして自分を否定するのではなく、もっと自分のことを認めて、自分らしさを尊重して生きていきたいですね。

 

土出麻美(つちでまみ)

 

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