2017/06/08

どうしても気分が落ち込む時の過ごし方

 

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小学生2人を子育て中の主婦です。 マイペース。 いろいろ考えたり自分なりに細かく分析してみようとしたり、妄想したりすることが好き。

先日、なんだかどうしても気分が落ち込んでしまう時がありました。ちょうどその落ち込んでいる時に、普段好んで読んでいるブログに「落ち込んだ時の立ち直り方」が書かれていました。シンクロしていたことに少し喜びながら読んでみると、*シンクロ=シンクロニシティ(偶然の一致)

 

『私より大変なひとがいる』で気持ちが少し落ち着くなら大いにやっていいよね。

 

って書いてあって、その表現や考え方が優しくてステキだなぁと思ったのでした。(現在その記事は削除されてしまっています…)

さて、筆者自身は普段少し落ち込んだ時はだいたいポジティブ変換して気分を変えます。「このぐらい大したことない」とか「別に大丈夫」とか「まいっか。」とか「このおかげで逆にラッキーだった」みたいにね。

ところが今回はそういうわけにはいきませんでした。なぜかと言うと、落ち込んでしまっている理由がはっきりしないのです。なぜだかわからないけどなんだか落ち込む…そんな経験ってありませんか?今回はまさにそれだったのです。

 

気分が落ち込むことは悪いことなのか

気分が落ち込むことは誰にでもあるものです。それが「快か不快か」と聞かれたなら、誰もが落ち込むことは「不快」と感じているはずですよね。「不快」に感じるものはやっぱり避けたいもの。ただ、「不快」に感じることが「不必要なもの」なのかと言うと話は変わってきます。その「不快」に感じることが必要なサインだからです。

 

「不快」な感じも必要なサイン

不快に感じることもそれは人にとって大切なサインです。簡単にたとえるなら「痛み」。これも、「快か不快か」と聞かれると「不快」です。でも、痛見の存在自体は大切な機能ですよね。痛みは強い不快感を感じますから、「ない方が良い」と考える人もいるかもしれません。ですが、たとえば痛みを感じなかったらどうなると思いますか?痛みを感じなければどこまでも無茶をしてしまうことができます。思い切りやって骨折してしまうかもしれません。

痛みを感じるから、制限ができるのですよね。しかも骨折うをしても痛みを感じなかったらそのまま動き続けてしまってきちんと治すことが難しくなってしまいます。痛みを感じて、それがイヤだと感じるから、安静にすることができるのですよね。けがをしたりしたときや体に不調があるのを教えてくれるのが痛みの存在です。

どこかが痛くても無視し続けていたら大変な病気だった、なんてことだってありますからね。痛みは不調のサインです。どんな痛みなのか、どこが痛いのか、しっかりと把握して対処することで早く治すことができたり痛みから解放されることができるのです。つまり「不快」なことも本当は自分からの大切なサインなのです。

だから、「気分が落ち込むこと」=「悪いことではない」と考えて、今回のなんだか理由がわからないけど気分が落ち込んでしまうことに向き合ってみることにしました

 

落ち込む気持ちに向き合う

とは言っても、一体何に落ち込んでいるのかわからない状態ですので、痛みにたとえるなら「どこが痛いのか」「どう痛いのか」がわからないようなものです。ですが、そもそも、自分の感情をしっかり感じずに無視するということは、ストレスにもつながって良いことではありません。ですので、しっかりと落ち込む気持ちに向き合いました。

何もする気にならなくてベッドに突っ伏してじーっとしていました。たまに子どもたちに声をかけられて、「もう、うるさいなぁ」なんて言いながらね。特に自分を責めたりせずに、ただ、暗い気持ちを味わっていました。自分の心の中の声で自分を責めることって実はあまり良くありません。人からの言葉よりも、自分自身の心の声の方がよっぽど心を傷つけるのです。人に言われた言葉でイヤだった言葉を何度も心の中で繰り返したりするのも自分自身の心の声だったりするのです。ですので、心の声で自分を責めるのはやめてくださいね。

 

落ち込んだ気持ちでしばらく動かずにいると、もともと飽き性なせいもあってか、だんだんほかのことを考え始めました。少しずつ、落ち込んだ気分から浮き上がってきました。なぜ、 落ち込んでいるのかという理由はわからないまま…。

それから数日、気分はましだけどまた落ち込んだり少しイライラしやすい日が続きました。

 

ついにわかった落ち込んでいた原因

なんだかスッキリしない日が数日続いて、スッキリする瞬間がついにやってきました。それは驚くほど些細なことで、「まさかこんなこと?」と疑ってしまうほどでした。実は、今年、メダカの卵を孵化させて、稚魚と大人のメダカとを分けて育てていたのですが、そろそろ一緒にしたいと思いつつ、していなかったのです。

一緒にする前に大人のメダカを入れているミニビオトープをもう少し充実させたいと思ってそのままにしていたのですが、それを何気なしに実行したのです。途端に心がスーッと晴れてなんだか幸せな気分になってきたのです。そんな小さなことで数日間もモヤモヤしていたなんて、考えられないでしょう?でも、本当にスッキリしました。そんなことで落ち込むなんて思わないですからね。「どんなけメダカ好きやねん!」って自分に突っ込みたいぐらいです。

 

潜在意識の中で感じることに大きい小さいはない

今回、ものすごく小さなことで気分が回復したわけですが、実は潜在意識の中では嬉しいことやイヤだと感じることに「大きい」「小さい」はないのです。

たとえば宝くじが5000円当たったとしますよね。5000円当たっても、当選には変わりないですし、「嬉しい」と多くの人が感じると思います。では百万円当たったとしたら?多くの人が「百万円の方が嬉しい」と思うと思います。ところが、潜在意識の中では同じなのですね。5000円当たったとしても、百万円当たったとしても、潜在意識の世界では同じことなのです。ビックリでしょ?通常の思考で考えたら全然金額が違いますからね。

つまり、落ち込む原因もその原因自体が「大きい」「小さい」も関係なく起こるのです。「なんだか落ち込んでつらい」原因はものすごくささやかなことを見逃していることも十分にあり得るのです。あなた自身が思いもしないような本当に些細なことで「後でしよう」と思っているようなことが、実は気分が落ち込んでいる原因かもしれないのです。あなた自身はそんなに強く思っているわけではないつもりでいることが、潜在意識の中では重要なことだったりすることもあるのです。

 

自分ではなんとも思わないような小さな我慢が、潜在意識の中では「小さい我慢」ではなくて「我慢」として積み重なっていて、それがストレスになってしまっていることだってあるのです。

 

きっと、潜在意識の中って小さな赤ちゃんと同じようなものなのでしょうね。「快」「不快」があるだけで、それ以外の細かい内容なんて本当はどうでも良いのかもしれません。「眠たくても眠れない」=「不快」=「泣く」みたいに単純なものなのだと思いませんか?「メダカ泳がせたいけど今度」=「不快」=「落ち込む」でも、些細なことすぎて「なぜ落ち込んでいるのか」自分の頭で考えても理由がわからない。それでこじらせてしまって、一層落ち込んでしまったりするものなんじゃないのかな?と思います。

人って成長するにつれて多くの知識を身につけて、いろんな欲も出てくるけれど、本質は「快」と「不快」だけのとてもシンプルなものなんじゃないのかな?と思うのです。

 

自分自身を見失ってしまっているサイン

知識や欲で、自分の本当の「快」「不快」が見えなくなってしまって、「快」を選ぶことが難しくなってしまう。それって、自分自身が本当に望んでいることを見失ってしまっているのと同じことだと思うのです。だから、なんだか理由がわからないけどどうしても落ち込んでしまうときは、本当の自分の「快」を見失ってしまっているサインなのかもしれません。

 

社会的にとか常識的に「良い」ことという知識をたくさんつけた今、一番簡単な気持ちをついつい見逃してしまうことが、実はとても多くあるのだと思うのです。そんな、ついつい見逃してしまいがちな小さな「快」、つまりほんの小さな幸せを選んで感じていくことは意外と難しいのかもしれません。できるだけ頭で難しいことを考えずに、ただシンプルに何となく良いような感じがすることを選ぶことが、小さな幸せを選ぶ一歩になるのでしょう。

 

本当は人はものすごく小さなことで幸せを感じることができる。それは、潜在意識の中がそんな風になっているからです。大きなことを望んで小さな幸せを逃してしまうよりも、小さな幸せを沢山感じていきたいですよね。理由がわからないけど落ち込んでしまう時は、身の回りのほんの些細なことで見逃していることがないか、頭で考えるよりも実行していってしまうのが早いのかもしれませんよ。

ぜひ試してみてくださいね。

 

土出麻美

 

 

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