なんて呼ぶ?夫の呼び方から男女平等について考えた話
あなたは夫のことをなんて呼んでいますか?
家での呼び方と外とでは違う呼び方をしているかもしれません。
実は私時はこのテーマについて過去に記事を書いています。3年前のことです。
その記事がこちら。
ダンナ?主人?なんて呼んでる?外での夫の呼び方
この記事の中で私は対外的な場面での夫の呼び方は「夫」が正しくて、「主人」と呼ぶのもスマートで良い、というようなことを書いています。
この内容について、「夫」は良いけど、「主人」って呼ぶのは違うのかなって考えさせられることがあったので、今回はそのことについて紹介したいと思います。
一家に主人(あるじ)は存在しているのか?
一つの家庭で、主(あるじ)っているんでしょうかね?
というのが今回のお話のかなめです。
戸籍とかには筆頭主とか、世帯主というような表記があるんですが、これって何なんでしょうね?
そう思ったきっかけが、アド塾のグループワークの時の話の流れの中であったんです。その話があってから、もうしばらくたつのですが…。
たまたま話の流れでグループのメンバーがその人の夫のことを「主人」と言っていたことがきっかけで、職員さんが私たちに一つ問いかけたのでした。
誰が主人でもないんだから、その言い方、やめませんか?
と。
私もいつも外ではよく土出のことは「主人」って言っていたので、最初はなんだかぽわッとした、よくイメージがわかない感じだったんですが…。
確かに「主人」っていう呼び方って、なんか奉公人みたいです。主人が家の主で、ほかの人はおまけみたいな。
おまけって言ったら大げさかもだけど。
私も、別に自分が奉公人とか雇われている人とか従者みたいには思っていなかったけど、「世帯主」っていうから夫のことは「主人」で良いやんって思っていました。
でも、それって自分で自分のことを低く言うようにしてたのかなって思ったんですよね。
女性って、子どもの提出書類の保護者名のところ、自分の名前じゃなくて夫の名前書きませんか?
自分も保護者やし、圧倒的に自分の方が子どもの世話してるのに、「保護者名」って書いてあったら父親の名前書くんですよね。
そういうのも、「なんで?」って疑問に思わないといけないんだなって思ったんですよ。
そうやっていつまでも自分で自分のことをおまけみたいにするって、責任者とか管理者は夫であるかのようにしていることって、いつまでたっても男女が同じ立場になれない原因の一つになってるって。
それはとても小さなことだけど。
男女が平等でないのってほんの小さなことの積み重ねで、「そんな細かいこと言うな」っていうようなことが山になって起こっているの、きっとたくさんあるんだろうなって。
そもそも家に主(あるじ)っているんでしょうか?
もしもいるのであれば、それって男女共同参画じゃないって言ってるようなものですよね。だって、男女共同参画って、男女が同じ立場で豊かさも責任も享受するって意味だもの。
どちらにも同じだけ責任があって同じだけ利益もあるってこと。
どっちかが主ってなっている時点で同じじゃないのよ。世帯主一人決めないといけないことがおかしいんだわ。
とはいっても家庭のことだから自分たちの中でどっちかがリーダーみたいになることはあるのかもしれないけど、今って世帯主って男性ってほとんど決められているようなもんだし、全然同じ立場じゃない。
それを戸籍の表記から変えていこうってなったらややこしいけど、自分たちの意識から変えていくことは自分たちでできること。
だから、自分の夫のことを「主人」っていうことも「旦那」っていうことも本当は違うんだって、もっと同じ立場として呼び合えることが大切なんだって、そう気が付いたのでした。
というわけで、私は長年「主人」と呼んでいたけれど、外で夫のことを呼ぶときには「土出」と呼ぶことにしました。
「土出」って言ったら私自身のことでもあるって、そうも言えるとは思うけど、だけど、私はもともとは「土出」じゃなかったのよ。
結婚して急に土出になったという話で、私は「土出」だけど「土出じゃない」という気持ちは心のどこかに無きにしも非ずで…。
というわけで、私は自分のことも「土出」と名乗っているけれど、夫のことを「土出」と呼ぶことにしたのです。
こういうの、広まったら良いなって思うので、共感してもらえた方は一緒にこういう呼び方使いましょう!!
自分のことも呼び方変えようかな~…?
「土出麻美」だけど、もっと「土出」より生まれたままの名前の「麻美」を使っていきたいなって思います。
男女が同じ立場でいるためには小さなことから意識を変えていくことが大切
今回の話で気が付いたことは、ほんの小さな部分にも、根本的に男女が同じ立場ではないような意識が潜んでいて、そういった小さな意識から変えていくことが大切なんだってことでした。
「みんながこう呼んでるから」とか、「一般的にこう言うから」というような判断基準ではなく、「これってどういう意味かな」っていうところから物事をとらえていくことって大切だなって思いました。
当たり前になってしまって気が付かずにいる意識を変えていくことがもっといろんな人が平等に暮らしていける社会にしていくことが出来るのだなぁ…と。
そう考えた出来事でした。
それでは。
土出麻美でした。
またね~。