私の名前は災難を呼ぶ名前だって⁉姓名判断ってどうなってるの?
人は子どもが生まれたとき、どんな気持ちで名前を付けるのだと思いますか?
どの人もみんな、その子が幸せになるようにとか、その子の幸せを願って名前を考えて、「これが良い!!」って思った名前を付けますよね。きっと。
「悪いことが起こるように」なんて考える人はまずいませんよね。普通。
願いのこもった大切な、大切な名前です。どの子の名前も、そうです。
そんな想いとは裏腹だなぁと感じるものがあります。それが姓名判断。
姓名判断って知っていますか?
名前の漢字の画数でその人の人生はどんなだとか、性格はこんなだとかというこを判断するものです。
漢字の画数だけで、人が判断できるって言うのです。それってどうなんだろう?
不思議なもので、けっこう気にする人も多いのも事実。
私がこの姓名判断と出会ったのは中学生の時です。そりゃあひどい結果で、災難の中を生きていくような名前のようでした。
名字はとても良いらしいのですが、名前が悪いらしいですね。「うるさいわ。」って感じでしたね。
この記事の目次
人の名前の漢字の画数でその人の人生はひどいものになるのか?
人の名前の画数で、その人の人生はひどいものになるのでしょうか?
これ、私は違うと思います。画数だけでその人の人生変わらないと思う。
確かに名前の漢字の画数とかが、与えるものが多少あるのかもしれません。だけど、どの人の名前も、名前を付けた人が一生懸命その子の幸せを願ってつけた名前です。
人の名前って、人の想いが込められているんですよ。祈りが、願いが。愛情が。ただの画数じゃないの。漢字の画数にたとえ意味があったとしても、それが、考えた人の想いを裏切って悪さするほどの力を持たないと思うんです。
災難を呼ぶ画数?名前つけた人は災難を呼ばそうとなんて思ってないわけ。何言っちゃってんの?って思う。人が一生懸命考えた、幸せを願って考えたものに対してよくそんなことが言えるなぁって思うわ。
人の想いを裏切るような、そんなことを平気で言えるということを疑った方が良いんじゃないの?と思うわけです。
だから、どんな名前であっても、画数とかよりも、つけた人の想いと、それを本人がどう受け取るかっていう本人の心次第だと思うんですね。
大事なのは漢字の画数がどうのじゃなくて、「本人がどうするか」です。自分自身が、どのような心でいて、どんなふうに考えるのか、そっちのほうがよっぽど大切なんですよね。
もちろん、名前をつけるときに画数を考えて名前を付ける人もいる。それも良いじゃない。どんな気持ちで何を願って名前を付けるのか、そこが大切だから。
幸せを願って、愛情込めて一生懸命つけた名前が、その対象に対して悪さなんてしないって。
悪さするときがあるとしたら、「この名前、災難呼ぶらしい」って知ってから、自分でそう考えたときだと思いますよ。「私の名前が災難だ」って考えたとき、それが現実になるんだと思う。
姓名判断って?
姓名判断とは、「名は体を表す」という考え方でつくられているそうです。漢字を使っているから中国発祥なのかなって思うけれど、現代日本でされているのは日本発祥ものなんだそう。
名字(姓)の画数、名字と名前のひとつずつの画数(私で言えば土出麻美の出と麻)や一番上の漢字と一番下の漢字の画数などでそれぞれの運勢が表されます。
結婚して名字が変わった場合、どちらで見るのかとか、漢字も旧字体なのか新字体なのかとか、略字なのかといったもので画数は変わること、どのような判断をするのかは判断する媒体や人によって変わってくるのかもしれないと思います。
どちらにしても、人の名前に対して平気で「悪い」というようなことを言う人は、私はあまり信用したくないなって思います。
それが良いと思う人であれば、それはそれで良いのかもしれないけど。
たぶん、姓名判断を仕事でしてる人の中にも、気持ちの方がだいじって考えてる人もいるんじゃないかな?とも思います。
名前に込められた人の想いは画数なんかには負けない
世の中にはたくさんの占いや判断するものがあって「これは吉だ」とか「これは凶だ」なんて言われたりします。
そんなもの、本当にたくさんあるけれど、結局はそれに対する人の気持ちが一番大切で、たとえどんなに占い師だったり判断する人が「凶だ」といったとしても、当の本人にとって「吉」であれば吉だし、本人次第でいくらでも変えられるものであると思います。
人の想いは、それ以外のものになんて負けない。
どんなの名前も付けた人の想いが込められている。たくさんの愛情が、ね。
とはいえ、「改名したい」と名前を変える人もいます。それはそれで良いんじゃないかな?って思います。本人次第のことだから。
最近目にした名前関係のニュースでは、キラキラネームの人が自分で名前を変えられる年齢になって名前を変えたというものがありました。
それも、本人がそうしたいのであれば、それで良いと思うんです。
気になるのはほかの人がそれに対して何かを言うこと。
なんか、そういう判断する人が「あなたの名前は災難を呼ぶ」とか言うの、どうかと思うわ。どんな顔して言うんだろう?たぶん、優しい顔してないだろうね。
同情したような顔して言うんだろうか?知らんけど。
そんな画数の結果よりも、心がどうであるかの方が大切であるって考えている人の話だったらまだ良いけど、「改名しなさい」とか言う人なら、私はちょっと違うと思うわ。
だって、その人が幸せになるように一生懸命考えられた名前に対して、平気でそういうことを言うほうが違和感なんだもの。
そんなことよりもそこに込められた思いとか、本人がどのような心でいられるかを大切にしたい。
結論:姓名判断の結果よりもどんな願いが込められていて、どんな気持ちであるかの方が大切
姓名判断って名前の画数でいろんな結果が見られておもしろいとは思う。
漢字の画数で、吉凶もあるのかもしれない。
でも、そんなことで人が一生懸命、幸せを願って考えてつけた名前を「悪い」としてしまうのは違うと思うんです。画数よりもそこに人の心がどうあるかの方が大切だと思うから。
たとえ、姓名判断で「凶」だという結果が出たとしても、そんな結果よりも、名づけをした人の子どもの幸せを願う気持ちの方がずっと強いと思います。
人のことなんて、そんなに簡単に判断できないと思うし、思いのこもったものを批判するようなことって寂しいと思うんです。
という、私が姓名判断に対して思うことでした。
ちなみに、私は結婚して名字が変わる前は名字は良かったのですが、土出になってからは、名字、名前、ともに姓名判断の画数は悪くなりました。
でも、どうだろう?「土出」って名字、めちゃくちゃめずらしいけど、土から芽が出てくるって意味でしょ?悪くないよね。
それでは、土出麻美でした。
またね!