「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

優れた人間ってどういうこと?人の価値を決めるものについて

 
この記事を書いている人 - WRITER -
「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
詳しいプロフィールはこちら

あなたにとって「優れた人間」といえば、どんな人を想像しますか?

 

社会的に高い立場の人ですか?年上の人?それとも、有名人でしょうか?誰かが優れた人間だと言えば、その人は優れた人間なのでしょうか?

 

 

「あの人はとても優れた人間だ」「あの人は人より優れていない…」なんて、人が優れているか、優れていないかということを考えはじめてしまって、そのうちに、「自分は価値のない人間だ」なんて思ってしまうことがあるかもしれません。

 

「もっと優れた人間にならなければならない」なんて、自分を苦しめてしまうこともあるのかも。

 

 

優れた人間が価値のある存在で、そうでない人は価値がない?そのように感じてしまうこともあるかもしれませんね。

 

でも、それって本当にそうなのでしょうか?

 

 

どんな人が優れた人間であるかという疑問に対して、明確な答えってないと私は思っています。

 

 

どんな人が優れた人間であるかという判断は、判断する人の価値観によって変わるものであって、「こう言う人が優れている!!」というような明確な答えはありません。

 

 

なので、「どんな人が優れた人間なの?」という疑問に対する正しい正解は、「判断する人の価値観によって変わるもの」であると考えています。

 

 

あなたが「あの人は優れた人間だ」と感じる人は、あなたの価値観の中で優先的に大切だと感じている基準が高い人間だということです。

 

 

もしも、あなたが、「自分は何も優れた部分のない人間だ」と思っていたとしても、別の価値観を持つ人から見たときには、ものすごく優れた部分を持つ素晴らしい人間であるという可能性も十分にあるというわけですね。

 

 

人の価値観なんてものは、それぞれにまったく違うものですから、優れた部分のない人なんてこの世には存在しないんですね。

 

 

ちなみに、私は、社会的に高い立場にいる人や、年齢が高い人、有名な人だからといって優れた人間であるとは、あまり感じません。

 

ただ地位が高いとか、年齢が上だとか、有名だとか言うだけで「優れた人間だ」としてしまうことは、なんだかつまらないと感じるのです。

 

もちろん、そう言う人はそうなっただけのものがあるのだから優れている部分があるのでしょう。

 

それはそれで、すごいんだけど、「すごいな」って思えて心の深い部分から尊敬を呼び起こすようなのって、自分で感じられたら良いなと思うのです。

 

 

とはいえ、「あの人は有名だからすごいんだ!!有名であることこそ、優れた人間なんだ!!」と思う人が間違っているとは思わないです。

 

それはその人の価値観なので、別に否定もしないし、間違ってるなんて言わない。人それぞれが自由に、それぞれの価値観を持っていたら良いと思っています。

 

 

誰がどんな価値観を持っていようと、それはその人の自由ですよね。

 

 

価値がある人間ってどんな人?

 

どんな人が価値がある人間であるかというのは、最初に述べた通り、それを判断する人の価値観によって変わります。

 

誰かが「価値がある」と感じるのならば「価値のある人間である」ということになるのです。

 

とはいえ、何に価値があるのかなんてことは簡単に測れるものではなくて、すべての人に価値があると思うのです。というのは私の考えですが。

 

 

だけど、やっぱり人間だから、こう言う人が好きとか、こう人だと尊敬するなぁ…と感じるポイントはやっぱりあります。

 

私の場合、それは、社会的立場とか、年齢とか、有名人とか、そう言うものとはちょっと違っていて、そう言った判断基準ではないんじゃないかなって思うんです。

 

私が重視したいなって思うのは人への対応の仕方です。

 

なので、社会的に高い立場の人であっても、人への対応が「それってどうなんだろう?」って思う場合はその人って優れた人間だなって思えないんですよね。

 

 

「そんなの誰でもそうだ」と言う人もいるかもしれないですが、けっこう、偉い立場になったらふんぞり返っていても良いような風潮ってあると思うんですよね。

 

それってどうなんだろう?

 

 

もともとふんぞり返ったような偉そうな態度の人で、誰に対してもそう言う態度なのであれば、そう言う人なんだろうって思うけど、ある人にはすごく丁寧で、ある人にはひどい態度って、私は好きではなくて。

 

とはいえ、人間だから個人的感情があって、「この人には丁寧にできない」とかもあるのだろうけど。

 

 

だけど、だからってめちゃくちゃひどい態度ってのはやっぱり違うと思うんです。

 

人に対してのふるまいってのは、どんなことがあったとしても、ある程度は人としてきちんとするものであると思う…というか、私はそういう、きちんとする方が好き(親しき中にも礼儀ありというか…)で、そうでない場合は「これって違う」と感じるんですよね。

 

 

 

社会的立場で人の優劣って決まらなくない?

 

社会的な立場で人の優劣って決まらないと思うんです。だから、社会的立場を振りかざして威圧的にふるまおうとする人はとてもつまらない人間だと感じてしまいます。(個人的感覚です。)

 

 

まだ独身だったころ、知的障害者施設で働いていた時のことです。

 

けっこう重度な人が通ってくる施設だったんです。だから、たまに利用者さんが大きな声を出すこともあったのですね。たまにですよ。

 

 

施設の近隣住人に、よくクレームを言ってくる人がいたんですが、その人、職業が警察官だったんです。

 

なので、クレームを言ってくるときに出ていた言葉が「俺は警察だぞ!!」だったんです。

 

出てきたクレームの中で、「お前のところは職員もうるさい!!」と言われたことがあったんです。夜勤で帰ってきて寝たいのにうるさい…と。

 

このクレームに対しての施設長の対応を聞いて素晴らしいなと感じたのが、「できるだけ窓を閉めたりして音が漏れないようにはします。ですが、言葉がしゃべれない重度の方々の施設ですから、職員まで何もしゃべらなかったら人が通ってきているのに会話も何もない暗い施設になってしまいます。ご理解ください。」と伝えたということでした。

 

 

私個人的には、「夜勤で昼間寝たい」というのはそれはもちろん考慮すべきことだとは思うけれど、(近所関係もありますし、お互いに気持ちよく毎日が過ごせるようにしたいですよね。)それを「俺は警察だぞ!!」ってすごむ必要はあったのかなって思いました。

 

それ、いる?

 

 

言い方とかもあると思うんです。そんな風にすごんでこなければ「夜勤大変ですよね。」ってなると思う。だけど、「俺は警察だぞ!!」とか言われたら、「警察ってそんなに偉いんですか?」って思っちゃいますよね。

 

てか、私の極端な考え方を言っちゃうと、「イヤだ!!」って思った時に全力で「イヤだ~!!」って気持ちを表現しつつも、ダメだってわかってるから葛藤しているような重度の知的障害を抱えている人の方が、「俺様は…!!」って上からほかの人を下に見ようとする人よりも尊い存在に思える。

 

だって、ほかの人をどうとか思っているんじゃなく、ただ自分に向き合っているんだもの。

 

でも、まぁ、ほかの人を見下すことで自分が強い存在であるとしてしまうというような弱さも人間らしさの一部なのかもしれませんね。

 

ほかの人はどう思うか知らないけど。

 

 

比較的、最近の出来事なのですが、小学校でも思ったことがあります。

 

子どもの夏休みの自由工作で大きな作品を作っていたので、車で持って帰るために学校に受け取りに行ったことがあるのです。

 

普段の授業参観とは違って、通常通りの学校です。(授業参観の時って、保護者がいるからちょっとよそいきな感じしませんか?)

 

 

終わりの会が始まる前ぐらいに教室の前に到着して聞いていたんですが、ビックリするぐらい先生が子どもたちに対して威圧的な言葉遣いなんですよ。

 

それ、保護者とか大人に対して同じことできますか?って思った。

 

小学校で、学校の先生が、間接的に子どもたちにパワハラを肯定的なイメージ付けしてるんじゃない?って思いましたよね。よくそんな言葉づかいで話せるなぁって。

 

 

もちろん、人間だからお互いの関係性が深くなれば、信頼関係が出来上がるわけですから、それで馴れ馴れしい態度になることはおおいにあると思うんですよ。

 

でも、その威圧的な態度は、明らかに相手が子どもだからだろうなって気がして。

 

 

相手が子どもであっても、大人はもちろんなこと、教師だって、1人の人間として尊重した態度で接することが大切だと思うし、相手がだれであっても一人の人として尊重できる人間であることの方が、ずっと人として優れているって感じるんですよね。

 

これが私の価値観ってわけなのですが。

 

 

だって、誰も、邪険に扱われたり、威圧的な態度をとられたりすることで嬉しいって感じることないじゃないですか?

 

嬉しい人もいるのか知らないけど。

 

教師だからといって、生徒よりも人間として優れているかって言ったらそんなことないって思うんです。

 

どれだけ相手のことを大切にできるかってだいじ。私の価値観では、ね。

 

 

 

どんな人が「優れている」と感じているかでその人の価値観や大切にしたいものがわかる

 

冒頭に説明した通り、どんな人が優れた人間だとういうのかについての正解はないのです。だから、優れている人の定義とは、それを判断する人の価値観によって変わるもの

 

誰が優れた人間だ、なんて答えはないんですね。

 

 

だから、どんな人を優れた人間だと感じるかということに、その人が大切にしているものや重きを置いているものが隠れているということです。

 

それは人によって違うもの。

 

 

あなたは何を大切にして、どんなことに重きをおいていたいと思いますか?

 

どんな人を優れていると感じるか、もしくは尊敬したいと思うか、ということを客観視してみると、あなた自身が気がつかなかった価値観に気がつくかもしれませんよ。

 

 

それでは!

 

土出麻美つちでまみでした。

 

またね。

 

 

 

 

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -
「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© クリエイト マイ ライフ|土出麻美-公式サイト , 2024 All Rights Reserved.