「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

ストレスのない生活のヒントは「ただ現実を受け入れるだけ」

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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小学生男子って自由だなぁって思うんですよ。遊びに来るのもアポなし訪問で、突然遊びだし、約束してても別のことしたくなったり、何か別の用事が…とか言ってドタキャン。それでも、本人たちはお互いに「約束した!」とか「約束してない!」とか言わずに、ただそのままの現実を受け入れているんですよね。その原因に対して別に怒ったりしないんですよ。なんて自由なんだろう…。

 

これが大人だったら大変ですよね。「アポなしで来られたって!!」とか、「約束してたのにドタキャンなんてありえない!!」とかってね。「約束を忘れるなんて!!」とか。そうなった理由に対して怒ったり嘆いたりします。でも、逆に、そうだから大人はストレスが多くなるのかなって思ったりしたんですよ。

 

きっと多くの人が持っていたけれど失ってしまった、小学生男子の自由さの中に、ストレスのない生活のヒントがあるなぁと思うんです。

 

小学生ってアポなしが当たり前!!

小学生ってアポなしで家に来るのが当たり前なんですよ!!!

え?そんなの当たり前って思いますか?いや、確かにそうなんです。携帯とか持ってる子もいるんですが、ほとんどの子が持ってないし、持ってても子どもたち同士で連絡とか取らないんですよ。

 

あ、もしかしたら、「うちは子どもたち同士で連絡とってるけど?」って人もいるのかもしれませんが。うちの子とその周辺の子はとってないんです。

 

 

いきなり「ピンポーン」

小学生って連絡手段を持ってないんですよ。だから、遊びに来るときにも、連絡なしに急に「ピンポーン」って来るんです。いや、当たり前なんですよ。私だって小学生のころはそうだったんだから。

 

でも。大人になってみると、いつの間にか連絡があってからの訪問があたり前になっていたんですよね。「急に来られても困る~!!」みたいな。そんなこと、ないですか?

 

私なんてもう、宅配便とかですら、連絡入れて欲しいし、電話とかも事前に連絡欲しいとか思ってしまう…。なんというか、心の準備をさせて欲しい…というか…。

 

そんな私ですが、子どもが小学生になって、子どものお友達がピンポーンって家に来るようになりました。小学生になる前にも少しはあったんだけれど、子どもたち二人とも小学生になって、さらに上の子は3年生になって一気にそんなことが増えました。

 

まだ小さいうちは親同士で連絡を取り合ったりするから子どもたちだけで急にって少ないんですよ。だから、ある時突然扉が開いたかのように、急な訪問や「明日来るわ~」って言ってたけれど来ない、とかいうような出来事が起こるようになりました。

 

約束もあるようなないような…

子どもって「遊びに行くわ!」とか行ってても忘れて別の遊びしちゃったり、本人は行く気だったけれど親はそんなつもりなく別の用事考えてたからそっちに行く、とか普通によくあるんですよ。「あの子の家は…!!」とかじゃなくて、誰でもあるんです。特に、小さいうちはね。

 

そんな感じなので、「約束した~!」って出て行っても「今日はほかにしたいことあるらしい~。」って帰ってきたり、約束したはずの子がいなかったりすることがあります。「明日も来るから!」って帰ったけれど来ないこともあるし。

 

たぶん、うちの子も忘れてた約束とか普通にあるんだと思うんですよ。だから、みんな同じような感じで、約束もあるようなないような。すごくゆる~い感じなんです。「遊びに来る」とかってに思い込んでた、とかもあったり。

 

約束忘れとかも気にしない

みんなそんな感じなので、約束忘れとかも、ドタキャンとかも気にしてないんですよね。まぁ、勘違いとかもあるからどっちが悪いとかそういうことを問題にしていないんです。

 

アポなし訪問で遊べなかったことと、ドタキャンで遊べなかったことが同じような感覚なんだと思うんです。「○○くん、遊べんかった」それだけ。だから、気にせずサラッとほかの遊びを始めたり、他の子と遊び始めたり。

 

実はそれってある意味正しくて、「急に行ったら居なかった」も、「約束したのにドタキャンされた」も、現実は「遊べない」だけなんです。大人は「遊べない」までの理由にこだわってこじらせてしまうんですけどね。

 

子どもも、成長するにつれて、「約束したのに!!」が入ってくるようになってきてしまうんでしょうが、今のわが子はまだ、「遊べない」の現実を受け入れるだけでサラッとしています。

 

現実を受け入れるだけ。それって「子どもは気楽で良いなぁ」と思うかもしれませんが、本当は子どもと同じように、「ただ現実を受け入れるだけ」がストレスのない生活のひとつの方法だとは感じませんか?

 

理由にとらわれずにそのままの現実を受けとめること

あなたは起きた出来事に対して、その理由について全く気にしないでいることができますか?

小さな子どもならともかく、大人になるとどうしてもその理由だとか原因っていうものに大きく影響を受けてしまいますよね。しかも、その原因ってちゃんとわかっていないことで勝手に自分が予想したことの方が多かったりするからより厄介だったりします。

 

たとえば、先ほどの子どもの例のように、約束していたのに相手がその時間に約束の時間に来なかったら、必ず原因を考えますよね。「なんで来なかったんだろう」って。それが、「忘れてた」だとしても、「ほかにしたいことができた」だったにしても、かなりの確率で嫌な気分になってしまうと思うんですよ。

 

たとえばその理由が、「急に事故にあって行けなかった」とか、「それはどうしても仕方ないな」と納得理由できる内容だったら「仕方ないな」って思えるんだろうけれど。

 

理由は違えど「来なかった」事実は変わらない…けれど

約束した相手が来なかったとき、「来なかった」事実は変わらないけれど、理由によって受け取り方が変わってしまいますよね。「理由なんか別に気にしないよ」ってかた、いますか?もしもあなたが「私は理由は特に気にしない」という人だったなら、そうでない人よりも、きっとものすごくストレスを感じることが少ないことだろうと思います。

 

本当は理由はどうあれ「来なかった」事実は変わらないんですが、(来られなかったのかもしれないですが、そういう理由はおいておいて)理由を気にすることでかかってくるストレスがかなり大きくなっちゃうんですよね。

 

「来ないなんて失礼だ!!」と思うのは当然のことなんですが、「失礼だ」と思っても思わなくても現実は変わらないんですよ。そこにこだわってしまうのか、「何かあったのかもしれないな」程度でサラッと流すのかでイライラしたりする時間が変わるでしょ?

 

イライラしても、ドカンと爆発させてしまえば後はサラッと流してしまえるならストレスは小さいかもしれませんが、ずっと考えてしまうことはストレスを感じさせてしまいます。

 

「何故…」の理由にこだわってしまう理由は

「来なかった」という事実は変わらないけれど、どうしても理由にこだわってしまう人は多いと思います。もちろん、そうじゃない人もいるんだろうけど。

 

「何故」にこだわってしまうのにはもちろん理由があるんですよ。それがあるからこだわってしまうんです。理由はどうあれ事実は変わらないけれど、どうしてもこだわってしまう理由。

 

何故そうなったのかの理由にこだわってしまう理由は、やっぱり「自分が大切にされていない」という気持ちが出てきて寂しくなってしまうからが一番大きいかなぁと思います。「それは仕方ないな」って思う理由じゃないと自分が邪険にされているように感じるんですね。

 

自分が大切にされていないと自分の価値が低くなってしまうような、そんな感覚がしてしまうんです。本当はそんなことないんですけどね。

 

理由が何でも事実は変わらない

ここまで何度も書いてきたのですが、理由が何であっても起きた事実は変わらないんですよ。変わるのは「気持ち」でね。そして、変わらない事実というのは「来なかった」という事実だけじゃなくて、あなたの価値も、なんですね。つまり、来てもらえなかった人の価値も変わらないんです。悪くなってないんですよ。大丈夫なんです。

 

だから、理由は何でも、あなたが大切にされているかどうかとか、あなた自身の価値も変わらないんです。だから、その理由に対して気持ちをやきもきさせる必要がないんです。来なかった理由が必要になるのは来なかった人の側で、理由によったら信用されなくなるという可能性はあると思うんですけどね。

 

子どもみたいに、そんな理由もおおらかに認められるようになったら、もっと気持ちが楽でいられるようになるんですけどね。自分も相手も楽な気持ちで受け入れあえる関係です。

 

大人は子どもらしさを取り戻して、子どもは失わないようにしたら

 

本当は子どもみたいな価値観でおおらかに認め合っていける関係性でいられることが、一番ストレスのない人間関係が築いていけると思うんですよ。成長して、大人になっていくのですが、その中で多くのことを学ぶけれど、失わない方が良かったことも失っていってしまっていると思うんですよね。

 

だから、大人は子どもから学べることはたくさんあると思うのですよ。

 

大人が子供のころの感覚を取り戻して、子どもはその感覚を失わないようにすることができたなら、もっとみんながおおらかで受け入れあって過ごせる社会になるんじゃないかなぁと思っているんです。そうなったら良いな。

 

あなたはどんな風に思いますか?

 

土出麻美(つちでまみ)

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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