「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

差別する人って自分が差別的な視点だと気づいてないんだな(杉田水脈議員の記事を読んで)

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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先日、とある記事を作るための打ち合わせに参加しました。

 

その打ち合わせとは、市の男女共同参画センターが発行する情報誌を作成のためのものです。この4月から情報誌作成を手伝わせてもらっています。

 

次回発行の記事に、少し前に話題になっていた杉田水脈議員の「生産性がない」という発言について記事を書かせてもらうことになり、調べてみました。

 

記事を読んでみた印象は、自身の差別的な視点に気がついてないんだなぁということ。

 

差別って、多くの場合が、「これって差別だ」って気がつかないところから始まっているのかもしれません。

 

 

人の気持ちを想像できる力ってだいじだ

 

人には誰でも得手不得手(得意、不得意)があるもので、勝手にできてしまう得意なことと、なかなか難しくできないことがあるもの。

 

時折、それを感じることがあります。

 

今回、杉田議員の不適切発言についての記事を書くために、この騒動について調べてみると、杉田議員が「全文を読んで批判してほしい」とTwitterで発言したらしいことを発見。(今は消えているのか見つかりませんでした。)

 

確かに。全文読んでから意見は言うべきですよね。

 

全文、見れないかな…と思って探してみたら書き起こしされてるものがありました。(書き起こし、ありなの?と思いつつ読んじゃったんですが…。雑誌、中古で買っても良いのかも?)

 

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読んでみた感想は、「日本ではそんなに差別はない」と言いつつ差別発言が大暴走してる感じを受けました。自身の差別的な視点に気がついてないし、人の気持ちを想像する能力が著しく低い人なのかなって言うイメージ。

 

おそらく、この杉田議員はこれらを考えることが不得手な人なんでしょう。人の気持ちを想像するのが難しい。

 

税金の使い道について、未来を作る子育て支援にもっと力を入れるべきだということを主張したいのであれば、ここに書かれているようなLGBTの人への批判はいらないと思う。記事の内容、ほとんどいらなかったはず。

 

記事に書かれていることは、その多くがLGBTの人への批判でした。いえ、少なくとも当事者が傷つくようなことばかり書いてあった。

 

でも、本人は批判だと気がついていないんでしょうね。「日本には差別がない」と言い切っているのだから。

 

 

差別とは弾圧することだけではない。違うと壁を作ること。否定すること。

 

杉田議員の感覚では差別とは弾圧や迫害することだけのようです。日本には迫害した歴史はなく寛容だと。

 

確かに罪になるとか、表立った迫害の歴史はないかもしれない。でも、差別ってそれだけじゃないでしょ。

 

もしかしたら、歴史的に武士とかの時代にはもっと寛容だったのかもしれない。でも、明らかに差別してた時代があったよね?

 

今でこそ、ボーイズラブでキュンとなってたりするけれど、昔は男性が手をつないでいるだけで「気持ち悪い」とか言ってた時代、あったよね?

 

 

ボーイズラブとかでキュンとなるような時代しか知らない若い人なのかと思ったら、この議員さん、私より一回り年上だった。じゃ、昔のこと知ってるはず。忘れたとでも?

 

 

 

 

言われてショックを受けること

 

言われたらショックを受けることってありますよね。

 

記事の中で、杉田議員は「私は気にせず付き合える」と、差別してないように表現しているんですが、「子どもが同性愛者だとわかるとすごいショックを受ける」というような表現もしているんです。それが差別なんですよね。

 

言われた側になって考えてみたらわかるはずなんですが、「子どもがあなたみたいだとショックを受ける」って、言われた相手が傷つく言葉ですよね。普通は人に言わない。

 

言われた側が傷つく言葉だってわかってたら、もうちょっと表現の仕方を考えると思うんですよ。だからね、相手が傷つくかもっていう想像が難しい人だからオブラートにできないんですね、きっと。

 

マスコミで取り上げられてた「生産性がない」っていう表現もですね。女性は子どもを生産する機械ではないろかあ、税金納めてるからちゃんと貢献してるとか、聞いた側は思いますよね。

 

 

多様性を認めることの未来は「崩壊」ではなく「個の自由」だろう

 

まぁでも、記事の問題はより深いのはここから先の後半部分です。

 

記事の後半は、もう最初に訴えていたはずのことを完全に見失ってしまって、固定観念からくる差別発言がかなり出てきます。

 

そもそも自身の視点自体が差別的だと気がついてないようなので、ものすごい批判の仕方だなと感じました。

 

 

後半、差別発言のパレードです。いえ、サーカスです。大サーカス。読んでいてびっくりします。

 

どっちかと言えば、楽しいサーカスの方を見たいですけど。

 

 

マスメディアが多様性について報道することについて、そのせいで「これでいいんだ」と不幸な人が増えるって認識をされているようなんですね。

 

その認識が違うんだ~!!って思う。「これでいいんだ」って思うことは、自分を受け入れることができて幸せになれる人が増えるんですよね。

 

「不幸な人が増える」っていう認識が、差別的な視点なんですよね。しあわせか不幸かは本人が感じるものであって、周りが決めることじゃないですからね。

 

杉田議員が、「同性愛=不幸」と思っているだけであって、他の人には関係ないことですよね。わざわざ公表してくれなくて良い話。

 

これも、言われた人は不愉快になる発言だし、税金の使い道とまったく関係ない。マスメディアのその報道は税金で賄われているのか?

 

学校の制服をズボンかスカートか選べる話を批判していることも、批判する必要ないですよね。もはや多様性を批判したいだけに感じる…。

 

私の個人的な意見を言わせてもらえば、学校の制服、「女子=スカート」の方を批判したいわ。

 

まぁ、制服選べるようにするのもなんか中途半端な気がするけど…。もう服装自由にしたら良いのに。もしくはジャケットだけ制服にしてあとは自由とか。

 

タイでは18種類の性別があるってことの批判も、私個人的に言わせてもらえばそのぐらいあって良いと思います。大歓迎ですよね。

 

なんで生物学上の二つにしか分かれてないの?って思う。男性も女性も、どっちでもない感じの人とかいますよね。

 

男性だって、めっちゃ女性っぽい感じのイメージの人もいれば、いかにも男性って感じの人もいる。女性も、けっこう男っぽい人もいれば、すごく女性らしい感じの人もいる。

 

めっちゃ女性っぽい男性でも恋愛対象は女性って人もいるし、恋愛対象は男性って人もいるし、男女関係ないって人もいる。女性っぽい男性はみんな恋愛対象が男性ってわけじゃない。

 

女性だって、恋愛対象が女性だったらみんな男性っぽいとかじゃない。

 

だから、問題は恋愛対象が同性なのか異性なのかという部分だけでなくもっと多様なもの何じゃないのかなって思うんです。

 

どんな服装が好きで、どんな性格で、どんな人が好きかとか誰に恋愛するかは、みんな自由でその自由をお互いに認め合うために性別をたくさん分けたほうがしっくりくるなら分けたほうが良いと思うんですよ。

 

同性といる方が自然な感じがする人もいれば、異性といるほうが気楽だって言う人もいる。むしろ、二つにしか分けてないから、「あいつは女とばっかりいる」とか、「あの子いつも男といるよね」とかいう人が出てきてもめるんじゃないの?

 

集団でいる方が良い女子ばかりじゃなく、単独行動の方が良い女子だっているのに、「女子=集団」って認識だから、「あの子、一人よね」とか言いたくなるんでしょ。

 

固定してるから、「生きづらい」って感じる人が出てくるんでしょ?

 

他者に合わせてるだけで本当はつらいって感じてる人、もっといるんじゃないの?もっとみんなが自由になるには多様性を受け入れることなんですよ。

 

多様性を受け入れることが崩壊につながるんじゃなくて、多様性を受け入れることこそ、みんなが豊かに生きていける社会になるんです。

 

「秩序」とは何かを押し付けることじゃない。正しくみんなが望む形を創り上げるものだ。私はそう思う。

 

 

「差別的視点だ」ということに気がつくことが多様性を受けられる社会には必要なんだと思った。

 

さてさて。話がそれてしまっていましたね。

 

それにしても、「差別的な視点だということに気がついてない」ということは結構問題だなぁって感じました。

 

いろんな人がいて、「生きづらい」って感じている人は少なくないと思うんです。もっと、早く、多くの人の「生きづらさ」が解消されたら良いと思うんですよね。

 

そのためにはやっぱり多様性を受け入れられる社会になることってとても大切。

 

多様性を受け入れられる社会になるためには、それぞれが持っているかもしれない「差別的視点」に気がつくことが大切だなって思いました

 

「この考え方って差別的なのかな?」と気がつくことで始まる。人の気持ちを想像することは難しくても、考え方が差別的かどうかは気がつくことができるんじゃないかな?

 

…まぁ、わからないけど。

 

 

あなたはどう考えますか?

 

それでは!

土出麻美つちでまみでした。

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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