「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

人の心を動かし、人の行動を変えるものは、やっぱり人であるのだなと実感した話

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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人の行動が変わるのは、心を動かすことができたときで、人の心を動かすものは人の行動や心である。そう感じた出来事がありました。

 

今、いろんなものが便利になり、機械で代用がきくし、AIが発達して人間がしなくても良いことが増えると言われているけれど、やっぱり、一番人の心に届いて人の心を動かし、ともすれば人の考え方や行動にまで影響を与える力を持っているのは人であると言い切ることができるのです。

 

 

人以外のものはそれを超えることはできない。

 

結局は「それって簡素化できるんじゃないの?」って言うような泥臭いことに人を動かす力がある。どんなに発達しても、対人である限り機械は人を超えられないだろうと、そう実感したのです。

 

 

一つ、勉強になった出来事。

 

今日はそんな紹介をしたいと思います。

 

 

一見面倒なことで、しなくても簡素化できるように感じることの中に人の心を動かすものが隠れている

 

簡素化させて人の負担を減らした方が良いことってたくさんあって、私はできるだけ効率的にすることが好きです。

 

だけれど、意外にも、「それって本当にいるの?」って思うようなことが、それを実行することで人の心を動かし、人の行動を変えてしまうこともあるのだと、そう実感することがありました。

 

 

けっこう長い時間かかってみていて気がついたことなのですが。

 

人の行動こそが、ほかの人の心の奥底、無意識に働きかけるのだなと思った出来事

 

我が家には小学生がおります。

 

家から学校に通うのは集団登校。通学路を通って学校に通います。

 

 

通学路にはいくつか信号のない交差点で道を渡らないといけない場所があり、朝は交通量が多くて結構危険な道です。

 

 

うちの小学校には当番制で保護者が交差点で登校中の小学生を見守るようになっているのですね。

 

私が小学生の頃には保護者が通学路に立って見守らないといけないなんてことなかったんです。この辺は昔からそうだったらしいです。

 

 

「朝の忙しい時間、そうやって出ていかないといけないなんて、なんて面倒なことをさせるんだ」って、最初はめちゃくちゃ思いました。「うちの子どもの頃はなかったのに…」って。

 

 

はじめてその当番に出て行ってみたら、まぁびっくり!

子どもが渡るようにはたを上げて通らせようとするのですが、車が平気で思いっきり突っ込んで来ようとしたりするんです。

 

「邪魔だ!どけ!!」と言わんばかり。

 

いつ事故にあってもおかしくなさそうな印象でした。

 

 

「いや、これ、信号いるよね。いつ事故が起こってもおかしくないやん」って思ったのが正直な感想でした。

 

 

保護者が交差点に立つのは月曜日と決められていて、月曜日だけ近くの地区の保護者が一気に7、8人ぐらい立っていて、ほかの曜日はボランティアの方が一人で子どもたちを見守っていてくれていたんですね。

 

それも、中途半端でなんだかおかしな話なんですが…。

 

 

私は、「絶対にあそこは信号がいる!」って思って、信号をつけてもらうような運動を起こそうとしたんです。

 

信号をつけるには近隣のみんながそう思っていることが大切だっていうので、アンケートをとってみたんですね。そうしたら、「ボランティアの人がいるからいらない!」って、意外に反対意見があったりしたんですよね。

 

 

「いやいや、ボランティアさんができなくなったらどうするの?」って思ったけれど、反対意見があるんだから、これが民意ってことなんだわって思って、もうそのままにしたんです。

 

 

その後、数年たって、ボランティアさんが倒れてしまってできなくなったんですね。

 

何年も毎日一人で子どもたちを安全に渡らせてくれていたボランティアさん。それは大変だっただろうと思います。

 

 

ここで、子どもたちを見守る人がいなくなって「大変だ!!」ってなったんですね。

 

それからいろいろ改革されて、保護者とボランティアさんが交代で、毎日二人以上が交差点に立つようになりました。

 

 

そうなって半年以上、もう少ししたら1年になるのかな?

 

 

毎朝、二人以上の大人が旗をもって子どもたちを横断させているんです。

 

 

すると、驚く変化を感じました。

 

思いっきり突っ込んできて事故を引き起こしそうだと感じる車がめちゃくちゃ減ったんです。

 

 

止まって譲ってくれる車が増えたんですね。

 

これまでは、「急いでるんだ!!」と言わんばかりに、ぶつかりそうな勢いで迫ってきている車が多かったんですが、そう感じる車がずいぶん減ったのです。

 

 

毎日大人が二名立って子どもを横断させていることが認識されて、「ここは危ないから子どもたちを渡らせてあげないといけない」という認識が運転者の中に無意識についたのだろうと思われます。

 

 

これは、どんなに「注意!」と書いた看板を立てたとしても、信号をつけたとしても、きっと得られない結果だったんじゃないかなと、そう感じたのでした。

 

 

人が動いたから、ほかの人の心も動かすことができた。これは機械の力ではできなかった効果だろう。

 

信号が設置されていても、看板があっても、結局は運転している人が気を付けていなければ事故は起こりやすくなってしまうもの。

 

 

人以外のもので啓発されていてもなかなか無意識的に「危険だ」とは認識されないものなのですね。

 

それまでは月曜日しかたくさんの大人がおらず、それ以外の日はたった一人のボランティアさんだけだったのが、毎日複数の大人が見守るように変わったことで、「あれ?危ないのかな?」と認識されて、そこから気を付けて子どもたちに道を譲ってくれる人が増えてくる。

 

気を付けて道を譲っている人が増えてこれば、それまでそうではなかった人も自然とそうしていくようになる。

 

 

人の心を動かして、人の行動を変えてしまうほどの影響を与えるのは、やっぱり人であるんだなと、そう思ったのです。

 

 

何かの罰則だったり、ルールで抑えつけたりするよりも、人の心の奥深く、無意識のレベルまで影響を与えるものは人である。時には泥臭くて非効率的だと感じることが、実は一番早くて確実に人を守ることもある。そう、学んだ出来事でした。

 

 

とはいえ、やっぱり信号はあったほうが良いとは思うのですが。朝の交通量が多いですし、子どもたちの通学路の安全がきちんと確保されていることって大切なことですよね。

 

 

なんであそこ、信号つかないんだろう?

 

 

細かいことを言うと、子どもの安全を見守ってくれているボランティアさんのためにも必要。信号のあるなしで過失責任が明確化されることから保険がおりやすいとかいろいろと出てくるので。

 

田舎だから信号をつけるお金がおりないとか、人が少ないからそうなってしまうのもわかるけど、人の命、大切にしたい。そう思います。

 

 

効率化だけではない、泥臭いことが人の心を強く動かすこともある。人の力こそ人の心を動かす強いエネルギーがあるのだ。

 

私は結構効率的なことが好きで、「それって意味あるの?」とか思ってしまったりすることが少なくないのです。

 

だけれど、やっぱり効率化だけではなく、人が泥臭く動くことで人の心を動かして、それが結果的に安全につながったり人の心を結びつけることになったりするものだな…ということを今回の件で学びました。

 

 

人と人っておもしろいですよね。

 

まだまだ自分が知らないことが世の中にはあふれていて、ほんの小さなことでも新しい発見ができる。

 

そう言った小さな発見をすることが生きる楽しみでもあるのだろうな、とそう思ったのでした。

 

 

あなたは、最近何か新しい発見がありましたか?

 

 

それでは。

土出麻美つちでまみでした。

 

またね。

 

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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