「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

共働きと家族のあり方について学び感じたこと(アド塾7日目午前)

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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家族や夫婦がどのようにあるべきかということは「これが標準だ」というものを決めてしまわないことが大切なポイントなんだな…ということがとても納得できた講座でした。

 

男女共同参画アドバイザー養成塾(アド塾)7日目午前(第12回目)の講座です。(2019年8月8日)

 

 

講座の流れは、戦前の仕事と家族のあり方についてから、現在どこに向かっているかの話があり、現在向かっているところが間違っているわけではないけれど、ここを目標においてそれを標準化させていくことは危険だという話でした。

 

非常に納得できて、共感できた話でした。

 

 

間違いなく、「標準の家族とはこれだ」と決められることによって、生きづらさを感じる人が必ず存在することになります。それに、今すでにそれで苦しんでいる人がいると思う。

 

今は共働き社会に向かっているのですが、これが進むことは働いていない人が「自分は価値のない存在だ」と感じて苦しくなってしまう社会に向かっていることを意味していると感じます。

 

いかに、日本人の特性も生かしつつ多様性を尊重できた社会にしていくかがとても大切なことだと思います。

 

 

今回の記事は、家族の働き方についてと多様性について、講義を受けて学んだことと、学んだうえで感じる、男女共同参画の視点で見た仕事に関して感じた疑問について紹介していきたいと思います。

 

 

仕事と家族の変化について

 

家族社会学の視点で見たときに仕事と家族の変化が大きく3段階で考えられます。

 

 ★日本の戦後からの仕事と家族の3段階変化 

 

  1. 家業での共働き時代(戦後~1960年代)
  2. 男性が稼ぎ、女性が専業主婦時代(1970~80年代)
  3. 会社雇用での共働き時代(1990年代以降)

 

 

それぞれ簡単に見ていきます。

 

 

家業での共働き時代(戦後~1960年代)

 

戦後、まだまだ自営業が多く女性も子どもも家業を手伝うかたちで働いていました。戦前の家制度・男性支配的な慣習がまだ残っていた時代です。

 

子どもの数が多いかぞくではありつつ、近隣や親類のサポートが多く、平均余命も短かったため子育てや介護の負担も小さい時代が続きます。

 

 

男性が稼ぎ、女性が専業主婦の時代(1970~80年代)

 

1970年代は重化学工業の発展で会社に雇用されて働く人が増え、女性は専業主婦化していきます。

 

 ★日本の女性は働かない?? 

 

日本での女性が専業主婦をしていた時代は他国と比べて短く、一番専業主婦が多かった時代でも女性の労働参加率は他国と比べてそれほど浅くありません。

つまり、日本の女性はよく働くということです。

 

 

この時代は核家族化が進んで孤立した子育てのためにストレスは大きいけれど、子どもの数は少なくて専業主婦なので負担はまだましだった時代です。

 

家族の介護も兄弟が多いために負担が分散されるか、地方に残った長子に集中していて、地方の家族は家業従事者だったので両立の負担が少ない時代でした。

 

 

会社雇用での共働き時代(1990年代以降)

 

グローバル化が進み、雇用の不安定化と非正規雇用化が進みます。

 

未婚化・少子化が進み、結婚している家庭は共働き家庭が多数派になります。とはいえ、フルタイムでの共働きは22%で、ほとんどがパートでの共働きです。

 

 ★この時代で出ている問題点 

 

  • 女性の雇用労働化が進み、家事育児と仕事の両立負担が大きくなる。
  • きょうだいが少ないため介護負担がのしかかる。

 

 

これまでの世代と比べてケアの負担が格段に大きくなりますが、日本の行政は他国と比べて家族を支えるのに使うお金は極端に少ない状態です。

 

 

共働き社会と多様性について

 

現在の共働き社会で抱えている問題は、性別分業が根強く残っていることが原因で起こっています。

 

 ★性別分業って?? 

 

男性は有償労働(お金を稼ぐことができる労働)女性は無償労働(家事や育児などのお金にならない労働)をするというように性別によって役割が決められていること

 

 

性別分業が根強く残っている原因は「日本的、男性的働き方」を規制しなかったことです。

 

男女が差別されることなく雇用されるための男女雇用機会均等法は働き方改革の要素がなく、男性的な働き方に合わせる形のままであったために、実際にそれを女性がすることは無理があったために、同じように働きに出ることが難しかったのです。

 

 

共働き社会が進むことの問題点

 

現在、多様性が必要な社会と言われていますが、実際には共働き社会が進むことは必ずしも多様性が進むわけではないことに気が付いておく必要があります。

 

女性の社会進出が進むことは必ずしも多様性が進むのではなく、新しい標準に進んでいる可能性が高く、これが進むことによってまた問題が出てくることになります。

 

大切なのは家族のあるなしにかかわらず、できるだけ多くの人が無理なく生活できる成熟した社会になることです。

 

 

今後の社会がどのような社会であるのが良いかについて考えたこと

 

今回の講義で特に共感できたのは、とにかく共働きを進めるのではなく、多様な家族のあり方を認められるように、すべての人が無理なく暮らせる社会になることが大切だと言われていた点です。

 

講師の方のワークライフバランスの考え方も、「人生とはワークの時間よりもライフの時間をいかに多くするかが大切だ」と考えておられることがとても良いと感じました。

 

家事や育児・介護などもワークつまり、労働であるととらえられていることもとても良いと思いました。

 

なぜそう思ったかというのは、外で働くこと有償であることだけが価値のある労働であり、家事や育児、介護などは労働であるととらえることができていない男性が多くあると感じるからです。

 

 

ただし、ワークとライフのとらえ方に関しては個人差があって難しい問題ではあると感じました。人によったら、仕事にも生きがいを感じている人もいるわけなので、本人、そして家族にとって、そのバランスがどんな状態であることが一番良いのかは個人差が大きいと思うんですね。

 

だからこそ、多様な生き方が認められる社会であることが大切なのだろうと思うのです。だから、つまりは多様性が大切ということなのですが。

 

 

性別職域分離について思うこと

 

今回の講義の中で非常に気になったことがありました。それが性別職域分離のことです。

 

 ★性別職域分離って?? 

 

働く場所(職務内容など)によって男女が分かれていること。
(看護師は女性が多い、医師は男性が多いなどのようなこと)

 

 

性別職域分離ができるだけなくなってどちらもが働くことで賃金格差がなくなって良い、と話をされていたのですが、そもそも女性がつくことが多い仕事の方が賃金が少ない理由の中には女性蔑視の視点があるのではないかな?と思うのです。

 

女性の仕事として多く存在している仕事とは、ケアに関する仕事であると思うのですが、これらはもともと、女性が無償で請け負っていた仕事です。

 

これを有償の労働として考えようとしたときに、「女の仕事だから」という意味合いで低賃金になっている部分は大いにあると思うのです。

 

 

介護や、看護、教育や育児にかかわること…これらは人の命を預かる仕事であるのですから、本来はもっと高い報酬が得られて当然であると考えられるのです。

 

物を作る仕事も大切かもしれませんが、人の命の方がどう考えても価値が高いですよね。

 

 

それでもまるで価値が低い仕事であるかのように低い賃金が設定されている理由は「女の仕事だから」という女性蔑視の影響があると、どう考えても思うのです。

 

 

女性が多く担ってきた人のケアをするという仕事は、決して価値の低いものではありません。低い価値だと決めた人がいるからです。

 

それを決めた人は誰でしょう?

 

有償で仕事をすることが価値があると考えてきた男性です。昔の。

 

 

それが今でも続いてきているのだと思います。

 

 

だから、そもそもの考え方として、長く女性が担ってきた、人をケアする仕事や、家事育児なども価値の高い労働であると認識されて、価値に見合った賃金が受け取れるのであれば自然と男性もその仕事をするようになっていくと考えられるのです。

 

 

ものごとの価値の判断基準が古いのだと思います。

 

 

価値観を変えていくことが大切なことだと言うことができます。

 

 

男女共同参画について思うこと

 

男女共同参画について、私は、「男女共同参画=共働き」だとは思っていません。

 

ともに責任を担うという意味なので、責任を担いつつ、どのようにそれを実行していくかはそれぞれの家庭の自由であるべきだと思います。

 

ただし、責任は持つ。

 

 

なので、とにかく共働きをすればよいというわけではなく、家庭によれば女性が専業主婦であることもあるだろうし、家庭によれば男性が専業主夫なこともある。

 

どちらも働いているけれど、家事育児は男性がする家庭もあれば、女性がする家庭もある。

 

それらは個々の家庭の自由であり、ただし、それはどちらかに押し付ければ良いという認識ではなく、お互いに責任を持っているという状態が、男女共同参画だと思っています。

 

 

「それじゃ、今と一緒だ」と考える人がいるかもしれませんが、一度考えてみてほしいことがあります。

 

本当に今、どちらも責任を持っているかという点についてです。

 

男性であれば家事を女性に完全にしてもらっていてノータッチであれば責任もってないよね?って思うし、女性で「あなたが稼いでくれないと!!」とか言ってしまっているのであれば、それは責任もってないんじゃない?って思います。

 

 

ただ、それがお互いに了解の上であれば個人の自由だと思うのですが、押し付けになっていて、どちらか、もしくはどちらもが苦しくなっているのであれば見直す必要があるのではないかな?と思うのです。

 

 

基本的に、夫婦でどうやって行くのかは二人で決めることで、社会が介入していくものではないけど、そこに強制や暴力的なものが存在しているのであれば、見直してみた方が良い。そう思います。

 

男女が対等な関係でなければそれは男女共同参画ではなく、ちょっと間違えればDVとかの問題になりますから。

 

 

働き方、家族のあり方…いろんなものが過渡期で変わっていっている時代だからこそ、大切に考えてより良い社会にしていくことができたら良いなと思ったのでした。

 

 

それでは。

 

土出麻美つちでまみでした。

 

 

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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