SOGI(性的指向・性別自認)の多様性について(アド塾5日目午前)の学び
「SOGIの問題とは、こんなにも注目されている問題なんだ!」と参加者の数に少し驚いた、アド塾5日目午前の講座「SOGIの多様性」がテーマでした。
- 性的指向(Sexual Orientation)、
- ジェンダーアイデンティティ性別自認(Gender Identity)、
- ジェンダー表現(Gender Expression)、
- 性的特徴(Sexual Characteristics)(インターセックスなど)
の頭文字をとったもの。
これらに問題を抱えているという意味。
まず、会場に到着して最初に驚いたのが、これまで参加した公開講座の中でも圧倒的に一般からの参加者が多かったことです。(フォーラムの時はもちろんたくさん参加者がいましたが…)
アド塾(男女共同参画アドバイザー養成塾)は講座の中にアド塾生限定のものと一般公開講座があるので、アド塾生ではない人も参加される講座もけっこうたくさんあります。
なので、行政の方が参加されていたり、アド塾生ではない地域の男女共同参画推進員の方が参加されてたりすることがあります。
この回の講座はそれまでよりも非常に一般の参加の方が多く、非常に注目されている問題であることがよくわかりました。
今回の記事は多くの人に注目されているSOGIの多様性についてがテーマだったアド塾5日目午前の講座(2019年7月13日)についてです。
この記事の目次
SOGIの(性的指向・性別自認)の多様性を認めることで始める差別や偏見のない社会
今回のテーマ「SOGIの多様性」についてはひょうごフォーラムの次に参加者が多い講座となっていました。
ひょうごフォーラムは普通の講座とはちょっと違った、トークショーのような感じもあったものだったので、実質的には一番一般参加の多かった講座だったのではないかな?というのが私の印象で、それだけ悩んでいる人が多く存在していて注目されて来ているということなのかな?とも思ったのでした。
というか、ほかのテーマも悩んでいる人は多いし重要なテーマではあるのだけど、ちょうどいま、注目されているテーマなのでしょう。
SOGIとは性的指向や性別自認が多様であることを認めあおうという話なのですが、この問題について語られるとき、つい最近までは「LGBT」という表現や「性的マイノリティ」という表現が多く使われていました。
- レズビアン(Lesbian):女性同性愛者
- ゲイ(Gay):男性同性愛者
- バイセクシャル(Bisexual):両性愛者
- トランスジェンダー(Transgender):(出生時に割り当てられた性別と違う認識を持った人)
これら、当事者がプライドと尊厳を込めて使用してきた自称の頭文字をとって連帯を示す言葉としてLGBTと言われる。
★人権問題について話をするときには当事者が使っている言葉を使う。
それが、最近ではSOGIという言葉を使われるようになってきています。
なぜ、SOGIという言葉が使われるようになったのか
「LGBT」とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとって呼ばれている名前です。これは、「誰」という部分を指しています。
こういった人を指す呼び方から、誰か特定の人を指すのではなく、人が「何に問題を抱えているのか」ということに注目されるようになり、SOGIという表現が使われるように変わりました。
「性的マイノリティ」とはスウェーデンの精神科医が作った名称で、性的指向が少数派という意味です。
これは、「何」という部分を表してはいるのですが、ただ「性的少数派」と表現してしまうといわゆる「〇〇フェチ」というような人も当てはまってしまうために、誰を指して居るのかが不明確になってしまいます。
そのため、国連では「性的マイノリティ」という言葉は使わずにSOGIと使います。
SOGIのIであるインターセックスは「DSD」という呼ばれ方もします。これは、性分化疾患という意味です。
生まれつき性別をはっきりと分けることができない発達をする人(一般的な男女の違いのような身体的特徴を持っていない)のことで、様々な種類があります。
当事者には、「インターセックス」という表現を嫌がる人も、「DSD」という表現を嫌がる人も、どちらも存在しています。
「インターセックス」という名称を嫌がる人は「DSD」と呼び、逆に「DSD」という呼び方を嫌がる人は「インターセックス」という言葉を使います。
国連では医学用語である「DSD」は使わずに「インターセックス」という表現を使います。
外出時のトイレに悩まされるSOGI
外出先でトイレに行くときにあなたはどのトイレを使いますか?
外でのトイレってだいたいが男性用と女性用に分かれています。
SOGIの人は外出先でのトイレに悩まされることが多くあります。どちらのトイレに入ったら良いのかわからないのです。
女性用に入っても男性用に入っても変な目で見られます。
最近は「誰でもトイレ」と書かれている特殊トイレが増えて、そこに小さな子供連れの人は車いすの人、SOGIの人が利用できるようになりました。
とはいえ、それも問題があって、特殊トイレのような広いトイレが本当に必要な車いすの人が利用したいときに利用できないなどの問題が出ています。
求められるアライ(ally)の存在
SOGIの人たちにとって心強い味方となるのがアライ(ally)の存在です。
同じ立場(自分ごと)として考えて行動する人のこと
SOGIの当事者ではない人が当事者として考えて行動するだけで、SOGIの当事者にとっては心強い存在となります。
SOGIの人とは、悩みを抱えているけれど、言い出すことができずに泣き寝入りしてしまっていることが多くあります。
それを当事者と同じ立場として考えてくれる人は本当に大きな心の救いとなるのです。
アライ(ally)として問題を考えてみる
自分が当事者と同じ立場として考えてみたときに結構たくさんの問題があることに気が付きます。
例えば、自分がトランスジェンダーだったとして考えてみましょう。
どんな気持であるかを知ることが大切なことなのかな?と思うので、あなたの性別と反対の体であるとしましょう。
あなたは心は今の性別のままでイメージがしやすいようにちょっとストーリーを作ってみるとしましょう。
もしもトランスジェンダーだったら?という感覚をイメージしてみよう
イメージしてみてください。
あなたは明日、温泉旅行に行く予定がありました。
楽しみに準備をして、眠りにつきました。朝起きて体を見たら性別が逆になっています。
そうです。いきなり、男性(女性)になっています。あるはずのものがなかったり、ないはずのものがついていたりしています。
どんな気分ですか?
私だったら、気持ち悪いと思うだろうな。おそらく、違和感しかないんじゃないかな?
そのまま、温泉旅行に行きます。どんな服を着ますか?着たい服を着ていけますか?一般的な性別の服に合わせますか?
どっちの下着を着ます?
着たかった服を着たら、変な目で見られるのかもしれないけど…。
さぁ、温泉に入ります。で、どっちのお風呂に入りますか?気持ちは元の性別(私の場合だったら女性、男性だったら男性)のままです。
私だったら男性の方に入りたくない。
でも、じゃあ女性の方に入るのは?不本意なものがついてる…。しかも、ほかの人に絶対に嫌がられる。というか変態にしか思われませんよね。
個室の貸し切りとかじゃないと入れないんじゃないかな?
このイメージ、もしかしたら男性だったら「女湯に入れる」とか考えてしまうかもしれないけど、それが一生続いて、自分は男性だと思っているのに、男性から性的な目で見られたりするっていうことですからね。
できればそういう公共のところ行きたくないって思うんじゃないかな?
自分が女性だと感じているのに、男子更衣室で着替えるのとか、本当に嫌ですよね。
日頃から当事者の気持ちになって考えてみたらトイレ問題も解決するのでは?
日頃から当事者の気持ちになってみればトイレ問題は解決するんじゃないかなって個人的には思います。
私の感覚だと、トイレは個室なので、トランスジェンダーの人が入ってきても特に困らないかなと思うのです。
入浴時と違って見えないですから。
ただ、問題があるとすれば、トイレには変質者がいることがあることかなって思います。
トランスジェンダーの人がどちらに入ることも許されるようになることは、そういった犯罪者が入ってきても「おかしい」とわからない可能性が出てきてしまうから。
だけど、そういう犯罪者の人のせいでトイレに困っている人がトイレに行けなくなってしまうのはとてもかわいそうだと思う。
国連の取り組み LGBTの権利は人権である
国連ではLGBTの権利は人権であるとしています。
人が生まれながらにして持っている権利のこと
国連ではLGBT、トランスジェンダー、インターセックスなどの人への差別や暴力などを禁止していて、これらの人たちが自由に表現し、平和的集会の自由を保障するなどの人権宣言を行っています。
確かに、誰を好きになることも、どのように自分を表現することも、自由ですよね。
日本の現状
日本ではLGBTに寛容なように感じるかもしれませんが、実際はどうでしょう?
テレビを見るとオネェ系のタレントが多く活動しています。
とはいえ、まだまだ…というか全く寛容ではないんじゃないかな?と思います。当事者の人が傷つくようなことが平気で放送されていますよね。
それでも、ずっと昔よりはましになってきているのかもしれません。学校の制服が自由に選べるようになったとか…。
実は文部科学省より学校教員に向けて児童に対してきめ細かい配慮をするように指導が出ています。とはいえ、「きめ細かい」って書いてあるのに、その実態は柔軟性というものはなく、かなり固定的なものになっているようです。
合理的な配慮とは、そんなに難しいものなんでしょうかね?
決められたものをきっちり守るのではなく、臨機応変な対応ができるようになることが、本当の意味での合理的配慮であり、ダイバーシティ&インクルージョン(包括的な多様性)なんだろうなって思います。
差別が原因での自殺やアウティング問題での自殺もあるという、非常に根が深い問題です。
- アウティングとは:本人が隠しているものを強引に引き出すという暴力行為。
- カミングアウトとは:自分の意思で隠していたことをこっそり信頼する人に話す。抗議するために使う。
SOGIの多様性を認める社会に必要なことは自分のこととして考えることだろう
SOGIの多様性を認める、差別や偏見のない社会づくりに必要なことは自分のことに当てはめて考えられるようになることだろうと、そう感じます。
というか、自分のこととして考えるのはSOGIのことだけではないですが…。
誰がどんな心をもってどんな服を着ても、誰を愛することも、それはその人の個性であり、自由に許されて良いはず。
例えば明日、いきなり同性愛であることが普通になっていて、異性愛者である自分が変態扱いされたとしたらどんな気分になるかとかを考えてみたらどうでしょう?
そんなの、責められてもどうしようもないと思うんですよね。
だって、急に変われないですもん。
だから、相手の気持ちがどんなものかを考えようと思ったら、急に自分が逆の立場になった状態を考えるのが良いと思うんですよね。
どんな個性があるかは人によって違うのは当たり前のことなんだから、違うことを「それはおかしい!!」って声高に批判したりするのではなく、自分が同じような立場だったらどうかなっていうことを考えられるようになったら分かり合えるんじゃないかなって思います。
どうしても相手のことがわからないことがあったとしても、責める必要ってなくて、気にしないで放っておけば良いと思います。
相手の立場になって考えてみたら、トイレ問題も入浴問題も、本人が一番困ることが何かわかってて、本人が一番考えているはずだと思うんですよね。
そう考えたアド塾5日目午前の講義でした。
たくさんの人が注目している問題だから、きっと悩んでいる当事者も、どう対応していくのが良いか悩んでいる人も、どちらもたくさんいるのだろう問題。
もっとお互いに許しあえるようになればよいなと思います。
それでは。
土出麻美でした。