男性と女性が本当の意味でお互い気持ちよく生きるために必要なことについて
男性と女性が本当の意味で自分らしく、気持ちよく生きていくために必要なことは、本当の意味で男女共同参画社会が実現した時なんだろうと、そう学ぶことができた、良い講演会に参加してきました。
三木市で開催された、男女共同参画週間の記念講演会です。
この講演会は、三木市の男女共同参画センターが主催だったので、運営委員をしている私は一応スタッフとしてお手伝いさせてもらったものです。
めちゃくちゃ良い講演会だったので、今回はこの講演会についての記事を書かせてもらおうと思っています。
本当に良い内容だったので、できるだけたくさんの人にシェアできたら良いなって思うから。
この記事の目次
三木市男女共同参画センター主催の「男女共同参画週間 記念講演会」がめちゃくちゃ勉強になったからシェアさせてほしい!
この講演会、私個人的に、ここ最近受けた男女共同参画に関するセミナーや講演会の中でぴか一、最高に良かった講演会でした。
いや、本当に良かったんです。
今の日本の社会が抱えている女性の苦しみ、男性の苦しみ、そのどちらもを解決させるための根本的な考え方が詰まっていたんです。
日本人っていろんなことを勘違いしてしまって自分たちで自分たちの首を絞めるように苦しくなっていっているんだって、そう確信できたのです。
講師の方は伊藤公雄さん。
講演のテーマは「地域社会に活気を!」という題目でした。
「地域社会に活気を!」なんて聞くと、自治会活動とか、地域でのことって思いませんか?
これが、内容は自治会活動うんぬんといった内容というよりも、もっと根本的な「人としてどうあることが社会や経済を明るくしていくことにつながっていくのか」という、どう生きるかの核心を突いた内容だと感じました。
講師の伊藤公雄さんってどんな方?
講師の伊藤公雄さんは現在京都産業大学、現代社会学部現代社会学科の教授で、京都大学や大阪大学の教授もされていた方です。(Wikipediaにも載っていました)
伊藤公雄さんの講演が、なぜこれほどまでに分かりやすく確信をついているのかということについて、伊藤公雄さんについて調べてみてわかりました。
この方、ジェンダーでも、男性学について研究されているのです。(ほかにも研究されています)
よく、男女共同参画の話とか、女性活躍の話となると、女性学について研究されている方が出てくるイメージがありませんか?
私はあります。
女性がいかに抑圧されているのかという話を、女性学に基づいて話してくださるのです。
それってもちろんとても勉強になるのだけれど、それだと意外に女性だけに偏った話になってしまいがちなところがあると思うのです。
それが、この伊藤公雄さんは男性学について研究をされているので、女性の立場だけでなく、男性の苦しみという視点も取り入れられた話を聞かせてもらえるというわけです。
両方の視点が入れられることによって、より男女共同参画社会について、女性のためだけではなく、男性にとっても、社会全体にとっても、いかにそうしていくことが必要であるかをわかりやすく知ることができるのでしょうね。
この伊藤公雄さんの講演会を聞くことができて本当に良かったです。
(…当日の講演会は、一応スタッフとして、お手伝い要員でしたが、めっちゃ聞き入っていました…。)
男女共同参画社会ってつまりどういうことかについて
男女共同参画社会とは、男性女性の性別に関係なく、みんなが対等にそれぞれの意思で社会活動ができる社会、という意味です。
男性だから外で仕事をしないといけないとか、女性だから家事を優先させないといけないというような固定概念は間違っていて、どちらも対等に、本人が社会活動(仕事や地域活動に参加したい)という意思を持っているのであれば、そうすることができるようにするべきである、という法律があるのです。
その法律が、男女共同参画社会基本法で1999年の6月に制定されています。(男女共同参画社会基本法:内閣府のページ)
この法律が作られたのは、女性が男性よりの低い立場に置かれていて、一人の人として扱われていないということが問題化して、世界で女性の社会的な地位をもっと向上させようという動きがあって制定されたものです。
とはいえ、まだまだ男性の方が社会的な地位が高いことは変わっていません。
男性は外で働き、女性が家事育児を担う。
女性が働くようになっても、まだまだ家事育児は女性がして当たり前で、男性はお手伝い…といった固定概念は強く残っています。
この一見女性だけが不利に思える固定概念が、実は男性自身のことも苦しめていることに気が付かずに…。
日本は昔から男尊女卑の民族だった…は勘違いだった!!
現在の社会通念上は、男性は外で働き、女性が家事育児をするというのが日本では一般家庭の常識で、日本では昔からそうだったと思われています。
あなたもそう思っていませんか?
日本人は男が外で働き、父親が家族で一番偉い存在で、母親は父親に尽くす。女性は男性より一歩引いて歩くのが女性らしい、大和撫子である、と。
それって、日本の昔からの伝統であるという根拠はあるのでしょうか?
実は、これは日本の古来からの文化ではない、ということがこの講演会で分かりました。
「男性が外で働き、女性は家事育児をする」家父長制が始まったのは明治民法からなのだそう。
それよりももっと古い時代、日本は男性が料理をしたり、子どもを連れて仕事に行ったりしていた。そういったことを示す当時の絵が残っているそうです。
日本人は古来より、男性が家事育児に参加し、女性も働く民族だったのです。世界でもトップクラスの男女平等社会だったのです。(昔は。今は世界でもかなり低いレベルです。)
また、最近話題になっている夫婦別姓についても、もともと日本人は夫婦別姓であり、夫婦が同じ姓を名乗るようになったのは明治民法から。
男尊女卑が激しく、家父長制がはっきりあった当時の西洋の文化を取り入れてそう変化したのです。
また、西洋の家父長制では課長が全部の責任を負うものだったのが、中途半端に父親が偉そうにするという部分だけが強調された家父長制が日本で浸透してしまったということでした。
もともと日本人の文化に合ったものでないものを取り入れてそれに惑わされてしまっているのが、現在の状況なのです。
「男は外、女は家」という固定概念から抜け出せない理由
もともと民族性に合っていない考え方である、「男は外で働き、女は家事をする」という考え方から抜け出せないでいる日本ですが、ここから抜け出せない理由があります。
それは戦後の高度経済成長のイメージです。
戦後の高度経済成長の時、日本人は男性は外で長時間働き、女性は家事育児に専念しました。それで経済が成長し、たくさんの成功を収めたのです。
この成功イメージは日本人に強く影響を及ぼして、男性は外で働いて、女性は家事育児をする、女性は男性と比べて劣った存在だという固定概念から抜け出せなくなってしまったのです。
日本人が男尊女卑の傾向を強めていった戦後、世界では逆に男女平等の考え方が強くなり、日本は取り残されて行ってしまったのです。
女性だけでなく男性も苦しめ続ける、性別役割分担の固定概念
女性が男性よりも劣っている存在だという認識を強めたのが、兵役です。
国民はすべて兵役に行かなくてはならないとされ、行くことができない女性は国民ではない国民よりも劣った存在であるとされました。
それが一層男尊女卑を強めます。
女性が男性よりも劣っているとされ、男性が社会に出てお金を稼ぎ、女性が家で家事をする…という男尊女卑の思想は、実は男性も苦しめています。
労働者が少なく、社会の担い手が少ないのに、責任を持たねばならない。不況で仕事がない。過程を養える収入が得られない…など、男性が担うべきとされる役割は男性を苦しめます。
男性の方が女性より上の立場でなければならないという観念が、今の社会にはあっておらずに男性を苦しめているのです。
講師の伊藤公雄さんによると、最近起こっている犯罪で、中年の男性が引きこもりになっていたり、殺人を犯してしまったりすることが起こっているのも、こういった社会が原因で、男性自身が苦しくて悲鳴を上げているのだろう…とのことでした。
ここから早く開放することが、男性にとっても女性にとっても生きやすい暮らしになるのです。
日本の民族古来の在り方を取り入れること、それが暮らしやすい社会
男性も女性も暮らしやすい社会とは、どちらもが平等に社会を担っていく社会です。
ともに家庭を支え、ともに協力して働く。
そのためには長時間労働が当たり前である風潮を変えて、勤労時間を短くし、男性も女性もどちらもが家事育児ができるように変えていく必要があるのです。
ともに家庭を支え、ともに働くことができるようにするにはもっと女性の声を社会に反映させる必要があります。
そのために、社会的地位の高い立場にいる女性の割合をもっと増やす必要があるのです。
意見が言える立場にいる女性の数が増えて、女性の意見が反映されやすい社会になると経済効果が上がることも証明されています。
そのためには何より、男性も女性もともに家事育児を担う社会整備が必要なのです。これはもともと日本が古来より実施していたことでもあるのです。
男女ともに対等に社会も家庭も担っていく社会こそ、男女が暮らしやすい社会の実現になる
社会で起きている悲しい事件は、その多くが社会が原因で起こっています。
それを改善するためには根本的に家庭という一番小さな場所から改善していくことが大切。ずっと前からそうだと思っていたけれど、今回の伊藤公雄さんの講演会を聞いて、さらにそれが正しいと確信することができました。
女性だけが家にいて、家事育児をしながら自分が無価値な存在であるかのように感じているなんておかしい。
ともに築き上げていくことができるようになるよう、情報発信したりしていきたいと思いました。
それでは。
土出麻美でした。