「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

溺水しかけた記憶!?ひょんなきっかけで生と死について考えた

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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昔からなぜか、あるイメージがあったんです。

 

水の底から水面を見上げているイメージ。それはきれいで、なんだか気持ちよくて、体験したいあこがれのものとして、私の中にあったんです。

 

そのイメージが、どうやら私が幼少期に溺水しかけていたことによるもののようだということが先日わかって、とても不思議な気持ちに。

 

おぼれていたはずなのに、なぜ、気持ちよく、あこがれのイメージとして私の中に残っているのか、生きることと死ぬことって…と、思いをはせるきっかけになりました。

 

今回は、そんな話。

生きることの意味とか、死ぬ時の感じってきっとこうだろう…そんなことを考えたんです。

 

昔からあったイメージはおぼれたことがきっかけ??

先日、Facebookで気になる記事を見かけました。

 

小さな子どもはおぼれるとき、暴れたりせずに静かに水に沈んでいるっていう内容の記事。

 

確かに、我が家の下の子もお風呂でほんの少し目を離してもう一度見たときに、浴槽の中でひっくり返っていてお腹がぷかっとなってきていたことがあって慌てた経験があったので、その記事をシェアしたんですね。ちょっと目を離すだけでも危ないって思って。

 

いや、その娘がお風呂でプカッとなっているのを見たときは本当にびっくりでしたよ!!

慌てて引き上げたんですが、本人はきょとんとしていて、おぼれたことに気がついてないんですね。こっちが心臓止まりそうでしたよ、ほんと。

 

めちゃくちゃビビった思い出です。何もなくて良かった。

 

Facebookで記事のシェアをした後に、姉からメッセージが届いたんです。見てみると、その内容は、私も小さいころにそういうことがあった…という話でした。

 

水遊びをしていた時に、姉がふと気がついたら私が水の中に目を開けたまま静かに沈んでいた、というのです。

 

もちろん私にはそんな記憶は全くないんです。覚えてないんですが…。

 

なぜか、昔から水の底から水面を眺めるイメージはあったんですよね。とはいえ、私が静かに水に沈んでいる姿を見た姉はめちゃくちゃ怖かったでしょうね。母親は近くで見ていなかったらしいです。

 

年齢差は3歳。私よりは大きいとは言っても、まだまだ小さい子どもですよね。そんな姿見たらトラウマになりそう…。

 

水に沈んでいた私を助けたのは、そんな小さな姉だったそうす。その時、姉に助けられていなかったら私は溺死しちゃってたのかもしれないな…なんて思ったりしました。

 

水に沈んでいるイメージに、ふと、違和感を感じた。

そんな、命の危険な状態だったはずの出来事。

 

そのイメージにおかしな点があることに気がつきました。

 

私のイメージ。それは、きれいで、気持ちよくて、もう一度体験したいというあこがれの気持ちがあるイメージなんです。

 

水に沈んでいるから、息ができていないはずなのに、苦しいと思っていない…。

それは、夢のように美化されているのか、それとも??

 

小さな私は、なんでその水に沈んだ体験にあこがれのイメージを持っているたのだろうか??怖かった記憶とか、苦しかったって気持ちならわかるんだけど、なんで、あこがれるの??

 

そこで一つ思い浮かぶこと。もしかして、そのとき、本当に気持ちよかったんじゃない??ってこと。

 

 

交通事故にあった時のことを思い出した

私ね、過去に、交通事故にあったことがあるんです。

 

車にはねられたんです。ワンボックスカーにはねられてバンパーにのりあげ、急ブレーキを踏んだワンボックスの乗り上げたまま数メートル進んで道路に放り出された。

 

もちろんその詳細な記憶はなく、その時に一緒にいた友達があとから教えてくれたんです。

 

そのときの体験。

私は気持ちよく目を覚ましたんです。そう、良く寝てて朝、すっきり気持ちよく起きるような感覚に似た感じ。でも、気持ちよく目覚めた場所は暗い道路の上だった。

 

静かで、なんだか気持ち良い感じ。

その時、気がついたんです。

 

「あれ、息、してない。」

 

とりあえず息をしなくちゃって、思い切って息を吸い込んだとたん、体の感覚を感じた。そう、急に体中が痛くなった。

 

身体が痛くなって、周囲に人がいっぱいいることに気がついて、たくさんの人が電話をしていることに気がついたんです。それまではね、何も感じず、ただ、気持ちよかった。

 

思うんですけどね、あの瞬間、私、死にかけてたんじゃないのかなって思うんです。そして、死ぬときってもしかして、気持ち良いんじゃない??

 

そう、だからね、幼少期の私が水に沈んでいた時のイメージが気持ちよくてあこがれる感覚が残っているのは、たぶん、命が危険だったからじゃないのかな?そう思った。

 

人の命が体からはなれてしまうとき、気持ちが良いのかもしれません。というよりも、命を持った人という状態でない、魂の状態というものは気持ち良いのかもしれません。もちろん、経験したことがないのでわからないけれど。

 

 

生きることの意味とは…

生きるってどういうことだろう?って考えてみるとね、もしかして痛みや苦しみ、そして音や味がある世界にいるってことなんじゃないかなって。

 

静かで、気持ち良い世界にはないもの。

 

生きている間しか感覚を味わうことができない、様々な感覚を楽しむこと、それが生きることなのかなって思うんです。

 

そういった感覚を感じるために生まれてきて、それが生きていく意味なのかなぁと。そう、ただ生きること、それが生まれてきた一番の目的。

 

それにプラスアルファとして、「こんな体験がしたい」「こういうことをしよう」って目的をもって、この世に生まれてくる。生まれてきたときにはその記憶は忘れてしまうけれど。

 

だから、もともと「したい」って思っていたことをしているときが、一番満足感を味わえる。

 

でもね、一番の目的は「生きること」だから、実は、痛みも苦しみも悲しみも、もちろん喜びも楽しみも、すべてが大切で必要な体験なんだろうなって思うんです。

 

それは、人としてこの世に生きていないと体験できないことだから。

 

 

「死」とは魂に戻ること?

それじゃ、「死」って何だろうって考えたときに、もともといた魂の状態に戻ることなのかなって思いました。

 

痛みも、苦しみのない世界で、気持ち良いけれど、刺激のない世界に戻っていく感じなのかなって。

 

そんな、人として命を持っていない状態は、気持ちよくて、何もわからないような小さな子どもだった私はその感覚にどこかあこがれる感じを持ったのかもしれないなって思うんです。

 

なんか気持ちよくて、キラキラ光る水面はきれいで、不思議体験だったんだろうと。

 

ここまでけっこうサラッと書いていますが、私は今までに最低でも2回はあと一歩で命を失うような状況になった経験があるってことになりますね。でも、結局、今生きてる。

 

きっと生きることを選んだんですね。もっとこの世界を味わおうと。今生きているすべての人が、一番はそのために生きているのかなって思います。

 

 

結論。苦しいこと、悲しいことも、楽しいことうれしいことも、思いっきり楽しもう

生きていれば必ず悲しいことやつらいことがあって、それだけではなく、うれしいことも楽しいこともたくさんあります。

 

そのどれもが必要な感情で、それらを味わうために、今、自分自身が存在しているのであれば。

 

今まで生きてきた毎日よりももっと、意識して自分の生きたい生き方をしていきたいなって、そんな風に思いました。そして、どの経験も楽しんで乗り越える。

 

そうすることが、自分自身が一番輝ける生き方にできるコツなんじゃないかな?

 

そんなことを考えた出来事でした。

 

あなたは毎日を思いっきり楽しめていますか?きっと、もっといろんな出来事を楽しんで良いんだと思うよ!!

 

それでは!つちでまみでしたっ♪

またね!

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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