普通が一番幸せ?「普通」っていう幻想から目覚めた方が良いよ
「普通が一番!」とか、「普通が一番幸せ」という言葉を聞いたことがありますか?
おそらく、日本で暮らしていれば一度は聞いたことがあるのではないかと思います。
この言葉はよく聞くけれど、じゃあその一番である「普通」って何か説明できますか?もしくは「普通」をきちんと説明されているのを聞いたことってありますか?
私はありません。
そもそも、「普通」という言葉ほどよく使われているのに曖昧なものってないんじゃないかと思うぐらい。(「変」とかもそうだけど)
あなたの普通は世界共通認識の普通ですか?
多分、違うでしょうね。世界共通で普通と認識されていることなんて、きっと存在しないのだから。
この記事の目次
普通って何?幻想やん
普通ってよく使う言葉。意味を知っていますか?
調べてみなくても、変わっていないこととかわかるけれど、あえて調べてみました。
[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時に起きるのが普通だ」「目つきが普通でない」
[副]たいてい。通常。一般に。「普通七月には梅雨が上がる」
goo辞書より
まぁ…思った通りの答えですよね。
でも、この「あたりまえ」とか「ありふれた」が、実ははっきりとしていないから厄介なんです。人とか場所によって違うのですよ。
普通の○○って何が思い浮かぶ?
普通がどれだけ曖昧かって言うのを表現しようと思ったら意外と簡単なんですよ。
「普通のもの」を思い浮かべてみれば簡単です。人によって違うものを思い浮かべますから。
じゃあ、やってみましょ。「普通の糸」と言えば何が思い浮かびますか?
「普通の糸」で思い浮かぶものは、人によって違います。多分。
裁縫の糸が思い浮かぶ人もいれば、釣りをする人からしたら釣りの糸でしょうし、毛糸の人もいるでしょう。タコ糸の人もいるでしょう。建築現場の糸を思い浮かべる人もいるでしょう。
その人が普段触れているものなんかで思いつくものは違います。
これらはすべて、特別なものではなく、普通の糸です。
では次。
「普通のゴム」と聞けば、何が思い浮かびますか?
輪ゴムが思いつく人もいるでしょう。裁縫で使う服とか中のゴムが思い浮かぶ人もいるでしょう。
髪の毛をくくるゴムが思いつく人もいるかもしれませんね。滑り止めのゴムなんかが思い浮かぶ人もいるかもしれませんね。
これらのゴムもすべて、普通のゴムです。
「普通じゃない」と思うのは、あなたが普段触れる機会がないだけで、普段から触れる機会のある人からしたら、ごくごく普通のものです。
普通の基準って、人によって違うんです。こんなほんのちょっとした日常のものだけでも。
じゃ、普通って何なのよ
「じゃ、普通って何なのよ」ってことになるのですが、これは一人一人、個人の感覚によって違うってことなんですよね。時代や場所によっても全く違うものになる、定義がはっきりしないもの。
そんなこと、知ってましたか?普通って決まりがないんですよ。
青い色は誰が見ても青い色だけれど、普通の青い色は、人によって違う青かもしれないってこと。だから、「普通の○○」って言われたら、ほとんどの人がどれかわからない。
よっぽど奇抜なものだったら「これは普通じゃない」ってわかるけれど。
つまり、「普通=あたりまえのもの」のはずなのに、実は普通って何かわからないもの。わからないけれど、「普通が良い」って言われているから、「良い」と思っているもの。
普通にしていないといけないと信じているけれど、はっきりとした答えがわからないもの。「普通だと安心」だと信じているけれど、はっきりしていないもの。
つまりは「普通」=「安定」というイメージは幻想ってことです。
普通って人によって違うのに
普通の感覚って人によって違うのに、人に合わせて普通になろうとするんですよね。不思議なことに。
人と同じやったら「普通」の気がして、安定している気がするんですよね。
そもそも「普通」ってこと事態が人によって違っているわけだから、たとえばあなたが「これが普通だ」と思って合わせたことは誰かにとっては「変なこと」かもしれないんですよ。
それじゃあ、一体何のために「普通」に合わせるんでしょうね?目立ちたくないから?自分の思うままだと不安だから?
不安だからっていうのが一番強いのかもしれないですね。
みんなと一緒にしてたらとりあえず安心。だって昔からそう教えられてきたから。信念として刻まれているんですよね。
「普通の幸せ」ってどんなこと?
「普通の幸せ」って何なんでしょう?
ありふれた幸せが一番良いって言うけれど、「ありふれた」状態っていうのがどういったものなのかっていうのは人によって違うって話をここまでしてきました。
じゃあ、「普通の幸せ」って?
そもそも幸せってどういうこと?
そもそも幸せってどういうことでしょう?
言葉の意味はまたgoo辞書から引用させてもらいますね。
1 運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。「思わぬ幸せが舞い込む」「幸せな家庭」「末永くお幸せにお暮らしください」
2 めぐり合わせ。運命。「幸せが悪い」
3 運がよくなること。うまい具合にいくこと。
4 物事のやり方。また、事の次第。
goo辞書より
となっています。
言葉の意味だけ見ると、普段「幸せになりたい」という時に使っている意味とちょっとイメージが違う気がしますね。
普段、「幸せ」という意味で使っているのは、「運が良い」という意味もあるかもしれませんが、そうじゃなくて、「幸福感を感じているか」とか、「満たされているか」とか、「満足感を感じているか」というような意味で使っているのではないかと思いますが、どうでしょう?
私は、そんな意味で使っています。
つまりは、「幸せ」も本人がどう感じているか、が重要なポイントで、要は主観の問題だと思っています。
そう、あなたが幸せかどうかは、あなたが幸せと感じているかどうか、ということであって、たとえほかの人がどんなに「あなたは幸せ者だ」と言ったとしても、あなたが「私、幸せ」と感じていなければ、結果は「幸せではない」になってしまうんですよ。
つまりは、「幸せ」も本人がどう感じているか、が重要な、明確な基準のない、不安定なものということです。何が幸せかは、人によって違うってことですよ。
「普通」にも「幸せ」にも明確な基準ってないよ
つまりは、「普通」にも「幸せ」にも、明確な基準はないんです。
その人の環境によって違っていたりするもの。つまり、「普通の幸せ」は人によって違うんです。
「普通が一番幸せ」ってのは人によって基準が違うものであって、ほとんど意味のないものだと考えられると私は思っています。
だって、「普通」も「幸せ」も、人によって違うのに決められるわけがないじゃないですか。
「普通」も「幸せ」も本人次第。じゃあ、自分で決めれば良い!
つまり、「普通」も「幸せ」も明確な基準がなくて、人によって違うってことなんだから、それならどこかの誰かの基準に合わせようとするんじゃなく、あなたが決めれば良いと思うんですよね。私は。
「何が普通で、何が幸せなのかは自分で決める!」ってスタンスで良いと思う。だって、誰にも答えがないものだから。
もしも、「それ、変わっているよ。」って言われたら、「いや、これ普通やで。」って堂々と言ったら良い。
基準や答えのないもののために、あなたが本当は「これが良い」って思っていることを曲げる必要なんてないんですよ。
あなたが「幸せ」って思っていないのにほかの人が決めつけた「普通」をそれが一番幸せっていわれたって絶対に幸せに感じるはずがないんだから。
たとえば冒険してみて、「やっぱり元の生活が幸せだった」と思うことも、あなたが冒険してそう思わないとそれは幸せじゃないんです。
幸せかどうかはあなたの主観だから。
さらに言うと、冒険ばかりしている人からしたら、冒険ばかりしていることが普通なんです。
そしてそれがきっとその人の普通の幸せなんでしょう。と、私は思う。
まとめ
「普通が一番幸せ」というけれど、その基準は人によって違います。
人によって何が普通かは違うから。だから、他の誰かが言う「普通の幸せ」はあなたには当てはまらないかもしれないってこと。
つまり、私は「普通」とは「みんなと同じ」という幻想だと思っています。
そんな、ハッキリとした基準のないものに合わせようとして、あなたの本当の気持ちを隠してしまったりするのってもったいないと思う。
そんな不安定なもののためにあなたの本当の気持ちを曲げてしまうぐらいなら、「私はこれが普通!」とあなたの本当に思うことをしていかれたらどうでしょう?きっと、その方が楽しいと思いますよ。
土出麻美(つちでまみ)