私には才能がないです。え?才能ってないとダメなんですか?
いきなりなんですけどね、私には、特に才能ってないんですよね。ごくごく普通で、特に秀でたものってない。まぁ、あえて言うなら「変わってる」ってよく言われることぐらいかなぁと思うんですよ。
考えていることも普通で、見ている世界も普通。何もかもが普通の人です。多分。
何かすごい才能がある人ってほんと、うらやましいなって思います。すごいなぁって。私にもそんなのあったら良いなって思う。でも、ないもんはない。でも、才能ってなくても幸せでいられるものだと思うんですよねぇ。
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私には特に才能なんてありません。いや、何もない。才能ってあったら良いのかも。でも、なくても幸せでいられるから。
才能って結構よく聞く言葉ですよね。「あの人は才能がある!!」とか言っているのを聞くとうらやましいなって思ったりします。でも、そもそも才能って何なんだろうって思いませんか?
才能って単純に説明すればその人が生まれ持っている人より優れた能力のことなんですけどね。それがあればなんだか特別な気がする。
スポーツ選手とか、才能があってそれをきわめて選手になったって感じですもんね。私には無理だぁって思う。でも、たとえばもしも、私がものすごくサッカーができたとして、「サッカーの才能がある」とか言われたとしても、別に「サッカー選手になりたい」って思わないです…。
うまくて、楽しかったら好きになっているかもしれないし、もしそうだったら「選手になりたい」って思っているのかもしれない。でも、なんかその時点でもうすでに今の私とは別人って感じがします…。違う人。だから今の私自身にはその才能って必要なかったんだなって思う。普通の人である、私が私。
才能って誰にでもあるの?
「才能って誰にでもある」っていう人もいるじゃないですか。それってどうなんだろう?そうとも言えるし、そうでないとも言える。
誰にでも得意なこと、不得意なところあると思うんですよ。「これは人より得意」とか、「これは好き」とかって絶対に誰にでもあるものだから。それを才能って言えば才能なんだろうけれど、普通の人が才能って言われてイメージするのってもっとすごくずば抜けてすごくできることなんだろうと思うんですよ。
多分、どっちが答えっていうのはないと思うんです。誰にでも得意なことはあるのも事実。でも、それよりもものすごくずば抜けている人がいるのも事実。
「継続は力なり」で、ずっと続けいることが人よりもうまくなることだってよくあることだし、どんなに才能がある人だって、何かのプロとかだったら普通の人よりもがぜんめちゃくちゃ練習しているわけで、そうなってくると才能なのか、努力の成果なのか、両方なのか、わからなくなってくると思うわけですよ。だから、「才能がある」「才能がない」にそんなにこだわる必要ってないと思うわけです。
私には才能がないなって思う理由
私には才能がありません。私が「こういうの才能だな」って思う側面がないと感じている、ということですよ。でも、それなりにやってます。
私の思う才能って、命の輝きを吹き込める能力だと思っているんですよね。「得意だ」「不得意だ」というよりも、人の感動を沸き起こすことができる力かなぁって。
中学生の頃の美術
私、中学生の頃の美術の成績、そんなに良くなかったんですよね。それなりに描くんだけど、評価はイマイチ。
模倣は得意だったんで、何かのキャラクターを使ったポスターとか描いたら先生に「こういうの得意ね」とかって言われるんですけどね。デッサンとかは友達とかは「めっちゃうまい」とか言ってくれても評価はイマイチなんですよね。
そのイマイチの理由はその当時はわからなかったんですが、成長してからわかるようになりました。絵に表情をつけられなかったんですよね。それはただの線と線の組み合わせで、描かれているものにイキイキとした表情がなかった。
デッサンって同じものを描いても、それに命を吹き込める人と吹き込めない人がいるんですよね。私は、描く絵に命を吹き込むことができなかった。
人の感動を呼ぶような命を吹き込むことができることが才能じゃないのかな?
絵だけじゃなくて、何か創るものや、その人の生きる軌跡っていうのかな?そういうものに人の感動を呼び覚ますような命を吹き込むことができることが才能なんじゃないのかなって思うんです、私はね。
ただ、得意不得意の世界じゃなくて。「わーすごい」って心を動かすことができるのが才能かなって思うんですよ。感動するからうらやましいって思うし、そんな風になりたいって思われたりもするんじゃないかな?
なので、絵に命を吹き込めなかった私は才能がない…と思うわけです。絵だけに限らず、何かに命を吹き込んだり、感動を呼んだりはできないなぁって思うから。
才能ってないとダメなの?
才能ってないとダメなんですかね?そう聞かれたら、「あった方が良い」って言う人がほとんどなのでしょう。そりゃあそうです。あった方が良いに決まってる。
でも、ないとダメかって聞かれたら、ダメじゃないんですよ。別になくても良いんですよね。それなのに、なぜか、うまくいかないときとかに「私には才能がない」とかって自分のこと責めちゃったりしたことありませんか?
…まぁ、ちょっと厳しい言い方をすると、できないことを「才能がない」って言う方向に持って行っちゃって、「だから、私はダメだ」って自分を責めるのが始まっちゃう…みたいな。
でも実は、才能なくても良いし、うまくできなくても別に良いし、そもそもあなた自身も、そのままで良い、なんですよね。
「才能ある」って結果論
「才能ある」って言われるのって、実は結果論だったりすると思うんですよ~。だって、「すごい」って感動をさせられたら才能があるってことだから。
才能がなくても
タイトルにもあるように、私には才能がありません。あぁ、才能がある人がうらやましい。まぁ、それでも、こうやってブログを書いていて、続けてたら何とか、結構アクセスがあるブログになってきました。
ほら、こうやってあなたが今、このブログを読んでくれているように、読んでくれる人がいる。これは事実なんですよね。才能なくても人が読んでくれるブログを書いているわけですよ。呼んでくれる人がいるっていうのは本当にうれしいです。今こうやって読んでくれているあなたにも、本当に感謝しています。
こうやってブログを書いていって、読んでくれる人が増えていって、さぁ、振り返った時、「わーすごーい!」って誰かを感動を呼ぶことができたら、その時急に「ブログの才能がある」ってなるんですよ。ぶっちゃけ、最初からそんな風にできていたわけじゃないから「生まれつき秀でている」ってわけじゃないのに。
そう、結局、「才能がある」って結果論にしか過ぎないんですよね。最初すごくうまくいってて「才能がある」って言われたとしても、そこから特に大成功とかしなかったらただ、「昔はうまかった」って言われるようになる。
逆に、最初は平凡で何もないようでも、「おぉ!」って言われるようになったら「才能ある」って言われたり、「実はもともと才能があったんだろう」とか言われるんですよね。
「才能ある」って結果論なのに「才能ない」って悩むのはもったいない
つまりは「才能があるかないか」は結果論で、最初の段階ではわからないってことなんですよ。それなのに、「私には才能がない」って悩むのってすごくもったいないことだと思いません?
あなたが「あの人才能があってうらやましい!!」って思っている人も最初からうまくいっていたかどうかはわからないし、今、あなたがうまくいっていないことがあったとしても、それを続けていたら結果的に他の人に「すごいね。才能あるね」って言われるかもしれないってことですよ。
そんなことに振り回されているなんて、もったいない。そんなこと気にせずにあなたはあなたのしたいことした方が絶対に良いと思いませんか?それに、「イヤだなぁ」って思っているやらないといけないことも、「才能がない」なんて考えていないで、なんとなくやっていたら面白くなってくることもあるかもしれないですよ。
「才能」は幻想で結果論。関係なく幸せに暮らせる
才能があるっていうのは結果論なんです。つまり「生まれつき持っている人より優れている能力」が才能っていうのは、ほぼ幻想だと思って良いと思いますよ。
しかも、生まれつき人より優れている部分が、あなたの好きなものとは限らないということですから、ますます幻想って感じかなぁって思いますね。
なので、才能があるかないかというのは人が満たされて幸せを感じて生活していく上で関係のないことです。才能は、あってもなくてもどっちでも良い。しかも、あなたはお気づきでしょうか?才能があるかどうかの判断って実は結構他人目線よりです。
人から評価されることって確かに本当にうれしいけれど、本当に満たされる感覚というのは自分の中、つまり、あなたの中からあふれてくるようになるものですので、他人の評価よりも、あなたがあなたのことを見つめて、認めていくことの方がずっと幸せを感じることがでいるようになっていきます。
もっと言えば、あなたがあなたのことを認めて、あなた自身のことを信じられるようになっていくことで、自然とあなたが変化していってそこから人に評価されるようになっていく、という順番の方がより満たされた、幸福感を感じることができるようになっていくでしょう。
自分自身のことを認め、信じていくようになろう
あなた自身のことを認めて信じられるようになっていってください。それが一番!「どうやって自分のことを信じるようになっていくのか」という疑問が出てきますか?「どうやるか」は私は自分と向き合うことをお勧めします。
自分と向き合う方法の中でも、自分の感覚を感じる方法をお勧めします。感覚を感じるっていうのは、五感をじっくり感じて、そこからあなたの感情がどう感じるかをただゆっくり感じていく方法です。
風を感じてみてその風はいったいどのように感じるか、それは心地よいのか冷たいのか…などそこからどんな感情や感覚が沸き起こってくるのか、それとも、何も沸き起こってこないのか。それを時間をとって意図的に感じることで自分と向き合う時間をとっていくんです。
いきなり「自分と向き合う」って言ってもピンと来なかったりしますよね。だから、五感から入るんです。それで、感じることを進めていく中で、自分の感覚を信じられるようになっていって、自分自身を認めていくっていう方法です。
自分を信じるようになると自分の可能性を信じられるようになっていく
自分の感覚を感じて、自分の感覚を信じられるようになっていくと、自然と自分の可能性も信じることができるようになってくるんですね。「こう思うからできるかもしれない」って。
そんな風に自分の可能性を信じられるようになってくると、自然と可能性も広がっていく。可能性が広がると世界も広がって、挑戦してみようって思えるようになってくるんですよ。そうすると、世界が広がって楽しみも増えていく。
そうなると、満たされた感じや幸福感を案じることも増えていくはずなんです。気がつけば、毎日充実して生活している!ってなってくると思うんですよ。
私には、才能がないです。でも、私には可能性がある。そう、あなたにも。想像もつかないようなたくさんの可能性があるんですよ。
それを見つけて、信じて、生きていくだけ。それが良いって思っています。あなたはどうですか?
土出麻美(つちでまみ)