「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

内閣府のセクハラ防止ポスターが賛否両論物議を呼んだことに思うこと

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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みなさま、ご存知でしょうか?

 

11月12日~25日は「女性に対する暴力をなくす運動」期間です。この運動は、内閣府の男女共同参画局から決められている運動です。

 

 

この運動で、あちこちに貼られた、内閣府の広報による「セクハラ防止ポスター」がものすごく話題になりました。

 

ってかバズってたみたいです。

 

どんな話題か?と言うと、「これはセクハラ加害者擁護になってるだろ~!」とか、「セクハラは男がするものって決めつけてるだろ~!!」と言うようなもの。

 

まぁ、たくさん批判が起きたんですね。

 

この、すごく話題になったポスターについて、私が思ったことは、「何かを見たときにどのようにとらえて、どう感じるかは、人によって本当に全然違うんだなぁ…」ということでした。

 

全く同じものを見て、どう感じるかは人によって違う。

 

当たり前のことだけど、けっこうたくさんの人が日ごろ忘れていて、自分の感覚で物事を進めてしまうから、思いもしないトラブルが起こったりするんですね。

 

みんなが、人によってどう感じるか違うよねって言うことを日頃から意識できてたら良いんだけど。

 

 

内閣府のセクハラ防止ポスターをはじめてみたとき。

 

実は私は、この騒動になっているときにはこのポスターを見たことがなかったんです。このポスター、まったく同じ感じの動画があるんですが、動画はいくつか見たことがあったんですけどね。

 

動画はとても分かりやすくなっていて、「あぁ、良いこと言ってる!」って思っていたんです。

 

 

この騒動を知ったのは、男女共同参画の情報誌を作成するための会議で、です。

 

次の紙面をどんな記事を作るか、と話し合っていた時にこのポスターの話になったんですね。賛否両論上がって話題になっていると。

 

そこで初めてポスターを見たんです。

 

 

が!!!!

 

 

先に動画を見ていた私には何の違和感も感じなかったんですよね。「あぁ、そうそうこんな感じだった!」って思って。

 

 

それで、そのあと話を聞いて見てみたら、確かに、加害者擁護に見えなくもない。いや、見える。

 

ポスターは俳優の東幹久さんが大きく載っていて、「これもセクハラ?」って大きく書かれているんです。その下に、小さい字で「セクハラを決めるのは」と書かれていて、もう少し大きな字で「あなたではない!」と書かれているんです。

 

動画では、「え?これもセクハラなの?」って言った後にダダーンと「セクハラを決めるのはあなたではない」が出て来ていたので、「そうそう。受け手がどう感じるかだからねぇ。」って思っていたんですが。

 

もうちょっと良い構成あったんじゃない?って思うけど、ポスターの役割は目を引くことだから、そういう視点で見たなら、これだけ話題になったのなら素晴らしい効果を与えたポスターなのだそう。

 

まぁ、いろいろあるんですねぇ~。

 

 

言葉をどう受け取るかは人によって違う

 

本当にたくさん、いろんな意見が出ていたのを見かけました。

 

最初に紹介した、「加害者擁護だ!!」という意見。この気持ちは確かにわかる。確かにそう見えるし。

 

「セクハラは男がするって決めつけてる!!」という意見。

これについては、そう言いたい気持ちもわからなくはないが、そもそもこのポスターの目的が「女性に対する暴力をなくす運動」のためのものなので、ここで女性から男性へのセクハラを出してしまったら本来の目的からズレすぎてしまうよね…。と思う。

 

 

ほかの意見では、「今日の服かわいいね。俺、好みだな。」というセリフがセクハラなの?という意見。それじゃ何も言えなくなるって。「わたしだったら嬉しいけど」とか。

 

これ、この言葉がセクハラかどうかは言われた側がどう受け取るかで決まるんだよって思う。言った相手との関係性とかでもどう受け取るか変わるしね。

 

 

たぶん、「わたしだったら嬉しい。」って言ってる人も、相手がどんな人かとか、どんな状況で言われたかによっては不快に感じることもあるのではなかろうか。たぶん。

 

例えば、すごく思い切りおしゃれしている日に、いつもおしゃれな人が「今日の服かわいいね。」とさわやかに言ってくれたら嬉しいかもしれない。

 

だけど、例えば「今日はちょっとスカート短かったかな。」とか思っている日に、日ごろからじろじろ見てきて不快に感じている人が、にやりと笑いながら「今日の服かわいいね」と言って来たら気持ち悪いだろう。おそらく。

 

まぁ、じろじろ見て来て不快に感じた時点でもセクハラに該当するわけだけれど。

 

 

何が言いたいかと言うと、ポスターにも書かれているけれど、まさに、「相手や周囲に配慮した言動」が大切かと思うんですよね。

 

相手がどのように感じているかは相手にしかわからないからこそ、配慮はいるだろうと、そう思ったのでした。

 

「こうしたらセクハラ!」じゃなく、「相手が不快に感じる言動をしないように配慮する」という気持ちが大切なんだと思う。

 

幹久が悪いとか、ポスターが悪いとか、そういうことじゃなくて、このポスター一つでも不快に感じる人もいれば、納得できる人もいるように、人によって感じ方は違うんだって。

 

友人とかなら相手を選べるけど、職場みたいに、ある程度嫌でも我慢してスマートに付き合わなければならない場ではなおさらのこと、配慮が大切になるんじゃないかなぁと思う。

 

同性・異性に関わらず、「わたしだったら嬉しいけど?」とかいう言葉も、不快に感じるのを我慢している人には厳しい意見だと思うんです。

 

 

その人が「イヤだ」って思ったら嫌なんだって。

 

パクチーが大好きな人はパクチーめっちゃおいしいって言うけど、パクチーが苦手な人は絶対に食べたくないって思うのと同じことで。

 

職場内でパクチーめっちゃ好きな人の方が多いから、「全員がパクチーを食べましょう!!」ってしたらパクチーが嫌いな人はめっちゃイヤなのと同じですよね。

 

じゃあ、「うちの職場はパクチー嫌いな人がいるから、わが社の社員は全員、パクチーを食べることを禁止します!!」って言ったらパクチーが好きな人は「なんでやねん!!」ってなるでしょう。

 

絶対的な正解は、何かを固定して決めることではないと思う。

 

だから、「服かわいいね」って言葉=セクハラなんじゃなくて、その内側にある、その言葉でどう感じるかが大切なんだって。

 

と、そんなことを思ったのでした。

 

ちなみに、私はパクチーが苦手です。今、食べてみたら大丈夫になっている可能性はあるのかもしれないけど…。

 

 

セクハラだけでなく、何においても相手は違うように感じているかもってことを知っておきたいと思う

 

根本的に、人って自分以外のほかの人が何を考えていてどう感じているかなんてものは、絶対にわかることはないんですよね。

 

なので、自分が平気であっても不快に感じる人がいる可能性はいくらでもあるし、反対に、自分がすごく不快であってもほかの人は平気なことだってある。

 

それは、自分がそうだからとか、ほかの人がそうだからという理由だけで誰かに強要できるものではないし、自分が我慢する必要もない。

 

いろいろ決めすぎてしまうと窮屈になるけど、人数が多いからと言ってそちらに合わせることは誰かが犠牲になるかもしれない。

 

そういうことを考えていられたら良いなって思ったのでした。

 

それではまた~。

土出麻美つちでまみでした。

 

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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