「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

ストーリー  (詳しすぎるプロフィール)

子どもの頃からの細かいこととか、詳しいことを紹介していきたいと思います。

自叙伝みたいな感じかな…。

 

土出麻美ってどんな人?って興味を持ってくださった方に。

 

ぼーっとした、手のかからない(?)赤ちゃん

大阪府茨木市に3人姉妹の次女として生まれます。

 

放っておいたら勝手に寝てくれているような、手のかからない赤ちゃん。

 

 

「二人目が生まれたら、上の子をしっかりかまってあげないといけない」

 

そんな育児情報を知った母は、一生懸命、姉のことをかまってあげていたそうです。

 

手のかからない赤ちゃんだった私を家に残して買い物に行くこともあり、椅子の上に寝かせたまま、「大丈夫だろう」と出かけていて、帰ってきたら落ちて泣いていて、そのまま寝てしまっていたこともあったとか。

 

 

そんな、手のかからない赤ちゃんだったはずの私が、乳児検診で引っかかります。

「知能が遅れているのではないか?」と。

 

手のかからない赤ちゃんだったはずが、一変、保健所に定期的に通わないといけなくなります。

 

結果。

「頭は良いので、知能に問題はない。」となります。

 

担当者が母に言った言葉は、「お母さん、かまってあげなさすぎです。」

 

育児でよくあることだと思うんですが、育児情報を信じてまじめに一生懸命取り組みすぎちゃったんですね。

一生懸命、姉ばかりをかまいすぎた。

 

それに加えて、私がもともとぼーっとした赤ちゃんだったから、泣いたりそんなにしなかったんですね。

だから、ほったらかしみたいになっちゃってたみたいです。

 

それで、知能に遅れがあるかと疑われちゃったんですね。

育児とはいろいろあるものだ。

 

 

 

置いていかれる子。光と影

もともと、ぼーっとした性質の子どもだったので、のんびりとした非常にマイペースな子どもに育っていきます。

 

そんな私とは対照的に、自己主張が強くて明るく快活な姉。

 

父は、自分によく似た姉のことをとても気に入っていました。

父は、姉だけを連れて出かけたりするようになります。

 

私は、置いていかれる子。

 

置いて行かれるたび、「おなかいたい…」と言うようになったようです。

 

まぁ、下の子の方が小さいから連れて行くの大変だから、上の子を連れて行ってたって言うのもあったのかもしれないですね。

 

父が姉だけをお風呂に入れて、私を入れなかったので、「まみも~!!」と私が大泣きして、そこから慌ててお風呂に入れていたこともあったとか。

それだからか、父親にお風呂に入れてもらった時は、乱暴に体を洗われて痛かったような記憶が残っています。

 

近所の大きい子どもたちにも、姉はとてもかわいがられていて、私はいじめられていた記憶があります。

 

小さい子のリーダー

そんな影の部分とは対照的に、近所の小さな子には好かれていました。

小さな子って言っても、私自身が幼稚園に行く前だったので、私も小さいんですが…(笑)

 

よく、1つ下とか2つ下の子たちを引き連れて遊んでいました。

集団で遊んでいたのを覚えています。

ちっさいアネゴですよね。

 

当時、母はほかの子のママさんに、「まみちゃんが外で遊んでたら、うちの子も外に遊びに行ってくれるから助かるわ~」なんてよく言われたみたい。

 

2つ下の妹も、よく私に甘えていて、下の子に絵本とか読んであげてた記憶があります。

 

そのせいか、たまに私は自分の子どもに向かって妹の名前を読んでしまうことがあります(笑)

子どもと遊んでるのに、妹と遊んでいるような気分になったりね。

 

不思議。

 

 

男の子が苦手だった幼稚園時代。左耳の聴力を失う。

比較的体が弱く、心も弱かった私は、幼稚園入園前に下痢になったりします。

多分、「自分って愛されていて大丈夫」って言う確信を持てないままでいたんじゃないかな?

 

だから、幼稚園という新しい環境に飛び込む勇気が持てなかったんじゃないのかな?

それと、すごく不安に弱かった。

 

母は、「なんて繊細な子どもなんだろう…」って驚いたと言います。

 

おとなしくて気が弱い子。

とてもおとなしくて気が弱い子。

他のお友達と楽しく遊んだ記憶ってあんまりなくて、意地悪だって思って苦手だった子の記憶が多いという…。

そんな幼稚園時代。

 

帰りのあいさつの時に、隣にいる男の子がいつも、肩から下げている私のカバンをぐっと押してきて、いつも肩が痛くてめっちゃその子のことが嫌いやった。

 

ウサギが好きで、幼稚園のウサギさんの世話ばかりしていたように思います。

 

左耳が聞こえなくなる。

おたふくかぜにかかって左耳が聞こえなくなります。

 

おたふくかぜはね、めっちゃ痛くて毎日泣いてた記憶がある。

おたふくかぜが原因で耳が聞こえなくなることってめずらしくないことないみたいなんですが、早くに気がついたら食い止めることもできるみたい。

 

でも、聞こえなくなっていることに気がつかれなくてそのまま過ごしていて、幼稚園の先生が「なんかフラフラしている」と母に伝えたことで、聴力を失っていることに気がつきます。

 

あの時は、めっちゃ毎日病院に行って点滴して大変だった。毎日めっちゃ泣いてました。

…まぁ、私も大変だったけど、母も大変だっただろうな。

 

いろいろしたけど、結局治らないってなって、今も、聴力は悪いまま。

 

でも、この経験が私を作っているので、何かを失っているんじゃなくて、このままの私が、私。そう思っています。

 

急に大きな行動に出る

幼稚園の頃って自分がすごくおとなしかった印象ばかりだったんですが、先日実家に帰った時に、思い出したことがありました。

 

幼稚園の運動会の演技で、「おたまじゃくしの101ちゃん」という演技をしたんですが、それで、101ちゃんのお母さん役をしたんです。

 

このお話のお母さんっていわば主人公なんですよ。

 

普段、家族から「あんたはあかん。あんたはあかんたれや。」とかさんざん言われてた私。

きっと、頑張って立候補したんかなぁ?って思うんです。覚えてないんですが。

 

昔から急にがんばって大胆な行動に出るタイプだったようで…。

おとなしい子が急に「する!」って立候補したら「じゃあ、やってみようか?」ってなったのかもしれないですね!

 

意外と、そういうような昔頑張ってうまくいったことって忘れてて、「自分はダメだった」って記憶ばかりが残っていたりする。

 

自分の記憶なんてものは意外とあいまいで偏ったものなのかもしれません。

 

何を記憶しておくのかを無意識に自分で選んでいるのだとしたら、「ダメな自分」の記憶ばかりを誇張して記憶しているのは私自身で、本当はもっと、できることも楽しかったこともあったのかもしれない。

 

そう思います。

 

 

小学生時代。おとなしかったのか、そうでもなかったのか…

おとなしかったのか、そうでもなかったのか、もはやわからないんですが、私の記憶の中ではおとなしい小学生でした。…たぶんね。

 

ずっと、お友達の中に入るのは苦手だったように思います。

 

クラス替えのたびにおなかが痛くなって下痢したり、学校で嘔吐してしまったり…となかなかうまく生活できてなかったような…。

その中にも楽しいこともあったのかもしれないけど。

 

4年生ぐらいの時は毎日宿題していかなかったんです。

はっきりとした反抗期がなかった私、今思えばあの時が反抗期だったのかもしれないなって思います。

 

家庭環境

家で反抗期がなかった私の家庭環境はけっこう激しかった。

 

父親は毎日酔って帰ってきては大声で怒鳴り散らしていた。

きっと仕事のストレスとか、いろいろ抱えているものがあったのでしょうね。

 

母親も、かなりストレスがたまっていたのか、毎日怒っていて、外に放り出されるようなこと、たたかれたりも毎日。

 

髪の毛は絶対に伸ばしたらダメだったし、毎日怒鳴り声が響いてた。

 

何度も外に放り出されそうになっては、今の入り口のところにつかまって、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」と連呼した。

何が悪いとか、なんで怒られているかとかじゃなくて、ただ、捨てられないために、「ごめんなさい」を連呼してました。

 

今思えば、捨てられるはずなんてなくて、なんで怒っているのか、何を怒っているのかの方が大切だってわかるんですが、その頃はわからなかったから。

 

いろいろ厳しかったし、とにかくいろんなことに怒られていた家は、姉が成長して反抗期になる頃にはさらに激しく、家庭内戦争って感じだった。

 

多分、私が反抗できる余裕が、家になかった。

そう、思ってたんじゃないかな?と思う。

 

成長して、客観的に見れるようになってからは、怒っていることが普通…と言うか、そういうコミュニケーション方法みたいなもんだなって思うようになった。

小さなことにも怒りながら話す…みたいな?

 

 

予想外な選択で、人生が変わっていった中学生時代

小学生時代…いや、それ以前もず~っと怖がりで、スポーツもできなかったんですよね。

 

それなのに、中学生になった時にバスケ部に入ります。

友達に誘ってもらったのがきっかけで。

めっちゃ苦手やったバスケをすることを選ぶんです。

 

それからだいぶ人生変わります。

クラス替えで嘔吐したりしなくなったし、運動もそこそこできるようになる。

(あ、でも一年生の一番最初は嘔吐した…。片付けてくれたお友達、本当にありがとう。感謝。)

 

ボールを受けたりも全然できなかったのに、できるようになります。

 

なんかね、強くなった。

中学生時代は本当に、楽しかった。

 

 

がんばった、高校時代

高校時代、最初ね、高校やめたかったんです。

中学時代がすごく楽しくて、高校生になって離れ離れになって…。

 

私、自分が環境の変化に弱いって気がついてなかったんです。

だからね、急にめちゃくちゃ環境が変わる高校はすごくしんどかった。

 

高校やめたくて、行きたくなくてね。

でも、ラグビー部のマネージャーだったんです。

 

ラグビー部があるから、そのために高校に行ってた。特に、最初のころはね。

でも、その分ラグビー部のことは愛してました。

 

なんだかんだで、3年間通った。

 

福祉関係の専門学校に行くことにする。

高校卒業後は、福祉系の専門学校に進みます。

 

進路は実は、臨床心理士になりたいとか、言語聴覚士になりたいとか、いろいろ言ってたのと、実はもしも何かにならなくても良いのなら、国文に進みたいとか言う思いもあった。

 

でも、手に職を付けられるところ、何かになれるところじゃないといけないって思っていたので、臨床心理とか言語聴覚とかを受けたりしていて、結局、言語聴覚士科を受けた専門学校から「社会福祉士科に来ませんか?」という話をもらって、福祉の道に進みました。

 

ちなみに、この学生時代に今の主人と付き合いはじめて、結婚します。

もともと同じ学校の友達でした。

 

人生を変えるような事故

学生時代、交通事故にあいます。

車にはねられて、1カ月ほど入院した。

(ちなみにこの事故で車にはねられるの2回目でした。1回目は入院してないです。)

 

桜の季節、夜桜を見に友達と行ってたんです。

 

そう。

よく覚えていないけれど、友達のあとについて道を渡ろうとして…。

 

そのあとの記憶はなく、気持ちよく目を覚ますと道の上に寝てたんです。

なんか、とても静かで、何もないような感じ。

 

状況が理解できなくて。

 

ふと、背中の方に人がいることに気がついて、その人をちらっと見た後、自分が息をしていないことに気がついて。

 

「あれ?息してない…」

 

そう思って息を吸い込んだとたんに、体中が痛くなってきた。

 

「痛い…。痛い…。」

 

そう言って気がつくと、周りにすごいたくさんの人がいて、みんな、携帯で「事故です」って電話かけてた。

 

夜桜を見に来ていた人たちがみんなで救急車呼んでくれてたんです。

とんだ大騒ぎを起こしてしまいました。

 

消防署も大変だったやろうな。

 

あとから友達に聞いた話では、友達が道を渡って振り向いたとき、私が車にはねられていて、テレビで人形がはねられている時みたいに、私が身体が車の上に乗り上げていて、数メートル車はそのまま進んで止まって、私が道にポーンと投げ出されていたそうです。

 

車体に乗り上げた後、フロントガラスを頭で割っていて、逆に、フロントガラス割ってなくてサイドの車体の部分で頭ぶつけてたら死んでたって言われた。

 

あと、骨折してたんですが、その骨折した場所がもう少しズレてたら、腰の骨の中に血管が通ってるところだったから、そこが折れてたら止血のしようがなくて死んでたんだって。

 

なんか、とりあえず死ななかった。

私、殺されても死なないんちゃうかなって思った。

 

あぁ、なんだかんだいっても親が一番心配してくれてるんだな。

入院中ね、母親が毎日欠かさず来てくれて、父親も、仕事が間に合う日はできる限り、毎日来てくれたんです。

 

それでね、「あぁ、なんだかんだ言っても、親が一番自分のこと心配してくれてるんだな」って思った。

 

私ね、たぶん、自分って愛されてないんだろうなって思ってたと思う。

でも、この事故で、そんなことないって知った。

 

一番気にかけてくれてるのって、ほかでもない、両親なんだって思った。

 

なんか、この事故から何かが変わって、それまではずっと女子集団の中にいようとしていたのに、急に、結構男子集団と一緒にいるようになります。

 

理由はわからない。

 

ただ、入院中で新学期に間に合わなくて、学校ではもうグループができてて。

今までなら、それでも何とか女子集団に入ろうとしてたと思うんやけど、なんか、別に良いや~って思うようになった。

少しだけ、なんか、ルールから外れてても良いような感じになったのかもしれない。

 

 

社会人になる

福祉の学校を出てからは、知的障害者関係の施設に就職します。

※【障害者という字の表記について】

障害者という字は差別的だとか、「害」という字が適切でないという主張もあり、最近は「障碍者」という表記や「障がい者」という表記をされることが増えました。様々な意見があることは承知していますが、ここでは法律上の表記を優先させて「障害者」とさせていただきます。

 

はじめて働いた知的障害者施設はね、本当に楽しかったです。

 

といっても、やっぱり新しい環境に弱い私は、一年目はしんどくなったりしてました。

行事のあとに目が回ってまっすぐ歩くこともできなくなったりね。

 

このころに、調子が悪いって耳鼻科に行くことで、普通の人より良く聞こえるはずだった右耳の聴力も落ちていることがわかります。

 

日常生活に大きな支障はないけど、ちょっと聞こえにくいぐらい。

 

それでも、いろいろあったけど、初めて働いた社会福祉法人での仕事は楽しかったです。

特に、私は、結構重度の人の方が好きでね、重度の人と関わることは本当に楽しかった。

一年目で異動になってより重度の人のところになったんです。それがわかった時は、本当にどうなるかと思った。

 

でも、結果的にすごく楽しかった。

みんな大好きでした。

 

自閉傾向のある人も好きでした。

多分、私自身が多少なり自閉傾向があるんやと思う。

 

でもね、なんか、結婚するもんだと思っていて、結婚するときに退職します。

この退職は、後々に後悔しました。

 

 

幸せになると思っていた結婚は、意外にもいばらの道だった。

結婚したら、幸せになる。そんな幻想を見ていたんですね。

 

実際は、そんなことはなくて。

 

名前も変わって、住むところも変わり、仕事も変わる…。

私、この時もまだ、自分が環境の変化に弱いって知らなかったんです。

 

ものすごい大きな、環境の変化。

結婚して最初の、うれしくて楽しい状態が冷めたときに残ったのはいろんな喪失感でした。

 

自分が仕事やめちゃってたから金銭的にも厳しかったし。

 

張り切ってたけどうまくいかなくて。空回りして。

 

早くも結婚1年目記念あたりで離婚話とかしている始末でした。

 

そもそもね、小さいころからの自分を受け入れられてないまま来てたんですね。

がんばろうとすることがすべて空回り。

 

結婚1年で離婚とか、私はすべてを失っただけだったって思って。

本当に、仕事を辞めて結婚なんてしなかったら良かったって思った。

泣いて泣いて、これからどうしようか考えた。

 

 

結局、離婚はしないことにして、二人で頑張ってみようってことになったんですけどね。

でも、この時がきっかけで、私は自分一人でも生きていける人であろうとがんばり始めます。

 

仕事も、正規職員じゃないといけないし、家事も、全部自分でできないといけない。

 

多分、私の中にね、「私、置いて行かれるんじゃないかな?捨てられるんじゃないかな?」って怖がったままの小さい私がいてたんです。

 

その小さい私がね、怖いってなって、そんな自分を守るために、「がんばらなきゃ!一人になっても大丈夫なように。」って思うようになったんだと思う。

 

そもそも、二人でがんばるものなのか、一人でがんばるものなのか…。

 

 

結婚したら子供ができないといけない?

結婚したら、多くの女の人が経験するんじゃないかと思うんですが、人と会うたびに「子どもは?」って聞かれます。

 

会う人会う人、みんな言うんで、言った本人は1回だけでも、言われる側は耳にタコ状態。

 

すぐに妊娠しなかったんです、私。

何回も、ノイローゼになるかと思うぐらい、「子どもは?」って言われた。

 

最初は、そんなに何とも思っていないことも、だんだん気になるし、最初はかっこつけて「できたらできたで、できなかったらできなかったで良いかな?」とか言ってた。

 

でもね、もう、本当にみんな聞いてくるんで、ある日、開き直って、「ほしいけどできへんねん。」って言うようにしたんですね。

そうしたら、あんまり言われなくなった。

 

それから、いろいろ悩んだけど、不妊治療をしてみることにします。

めちゃビビりながら産婦人科に行って。

 

お腹大きい人がいっぱいいる中、順番待ってるの、居心地悪かったなぁ~。

 

でも、検査してみて、授乳中に出るはずのホルモンが大量分泌されていることがわかって、そのホルモンを抑える薬を飲むようになると、驚くほどすぐに赤ちゃんはやってきてくれました。

 

だからね、私は、赤ちゃんが欲しいって悩んでる人は、悩むぐらいならすぐに病院行ったら良いんじゃないかなって思ってる。

 

いろんなこと言う人がいるけど。

他の人が好き勝手言うのなんて、無視したら良いと思う。

 

何を選ぶのかを決めるのは、ただ一人、自分だけだから。

 

 

妊娠中も、仕事をがんばる

やっと私のもとにやってきてくれたあかちゃんだったけれど、私は自分一人でも生きていける人でないといけないって思っていたので、仕事はギリギリまで続けました。

 

もうね、つわりは本当につらかった。

血圧が低すぎてね。

 

当時、老人デイサービスの相談員してたんですが、入浴の外介助って言って服を脱いだり着たりするのを手伝いに入っていたんです。

 

つわりと、しんどいのと…

目の前が暗くなってきて、立ってられなくなってきて…。

 

「あ、ヤバイな。」って自分で思って上司である看護師さんに言いに行ったときにはすでに遅く、倒れる寸前のところを看護師二人に両脇抱えられて引きずられてその場から撤退しました。

 

まぁでも、倒れかけただけで無事だったんですけどね。だいぶ、顔色やばかったらしい。

 

そのあとからは、しんどい時はたまに現場を抜けて別の部屋にちょっと行かせてもらったりした。

とにかく、がんばらないといけないと思ってたから。がんばった。

 

 

がんばり続けてやっと生まれたあかちゃん。あかちゃんが生まれたら幸せになると思ってた。

がんばり続けて産休に入ります。

 

そして、出産。

生まれてきた赤ちゃんは、私の赤ちゃんの頃にそっくりでした。

 

私の赤ちゃんの頃の写真の中にいた赤ちゃんが、そのまま出てきたみたい。

 

写真の中にいたはずの赤ちゃんが、私の腕の中で、私の顔を見ている…。

そんな感じでした。

とても、不思議な感じ。

 

私が、私を抱いてる???

 

入院中のベットでだったか…?忘れちゃったけれど、自分が赤ちゃんで、母親に抱かれている夢を見ました。

とても不思議な…、不思議な感覚の夢でした。

 

 

産後も仕事を辞める気はなく、復帰する気満々でした。一人になったとしても、赤ちゃんを育てられる自分でいないといけないと思っていたからね。

 

でも、悩みはあった。

朝出勤時間が早いことと、迎えに行けるであろう時間がめちゃくちゃ遅いこと。

それと、パートさんが多いので、運動会とかがかぶった時はパートさんが休み優先だったこと。

 

赤ちゃんが生まれると、幸せになると思ってた私は、そんなわけではなかったことに気がつきます。

 

幸せだけどね、それ以上にすごく不安が強かった。

なんで泣き止まないんだろうとか、何かのタイミングで死んじゃうんじゃないかとかね。

 

私がちゃんとできてないんじゃないだろうかとか。

せっかく生まれてきてくれたのに。

 

不安で怖くて、一人ぼっちだった。

 

こんなにも私のことを必要としている子がいるのに、こんなにも必要とされているのに、孤独で怖かった。

 

この子を守れるのは私だけだと思った

不安でいっぱいだったけれど、やっとできたあかちゃんは本当にすごく大切な宝物だったんですよね。

 

上の子がまだ2カ月だったある日、義母が抱っこしたがったんですよね。

「まだ首が座ってないんで…」そう言いながら渡そうとしたとき、義母は、「大丈夫や!!」といってまるで奪い取るように脇を抱えて抱き上げたんです。

 

首がぐらんぐらんなって…。

その様子を見て、「ほんまや。まだすわってないな。」って義母が言って。

 

今になれば、義母も初孫でうれしくてハイテンションになって、勢いでそうしてしまったんだろうと思う。

 

義母も主人を育ててはいるけれど、同居だったから子どもの面倒はおじいちゃんおばあちゃんが見てたって聞いてたし、赤ちゃんになれてなかったのもあると思う。

でも、その時はそんな風に客観的に考える余裕はなくて。

 

腕全体でしっかり抱くわけでなく、脇を抱えてぷらんとなった状態で、首がぐらぐらなってる息子を見て、「この人に私の子殺される!!」って思った。

絶対に預けたりしたらあかん…ってか、触らせたらあかんって思った。

 

てか、2カ月で完全に首すわってる子そんなにいないし、「まだ首すわってない」って言われたら普通は丁寧に扱うやろ!!って思った。

 

私、結構変わってるタイプで、子どもができたりする前から義父母が買い物するために車出してあげたりしている嫁だったんです。

 

主人よりも私の方が家に行ってる…みたいな。

 

でも、これがきっかけにもなって、家には行かなくなります。

 

義父母は家で犬を飼っていたんですが、噛みついたりすることがあって、散歩中にほかの人をケガさせてしまうことや、当時一緒に住んでいた、義祖母も、噛まれて縫わないといけないようなケガすることもあったので、犬も危ないと思っていたし。

 

私しかこの子を守れる人間はいないって思った。

こうやって、どんどん「自分ががんばらなきゃ!」っていう深みにはまっていきます。

 

 

…とはいっても、初孫なんで、私が行かなくても義母と義父で家に来たり、一緒におもちゃを買いに行ったりはしました。

 

朝にアポなしでいきなり義母が来て、ピンポン押さずに急に家に入ってこようとしたことも。

鍵閉まってたから入ってこられへんかったけど、びっくりしたなぁ…。

 

 

抱っこしてないと、ずっと泣いてる…。湿疹と顔のキズと…。

ずっと抱っこしてないと、ず~っと泣いている赤ちゃんでした。

夜はまだ寝てくれるのが救いだったかな…。

 

本当に、ずっと抱っこしてないと泣くんです。

家事どころか、トイレもいけない。

 

しかも、顔の湿疹がひどくてね、かゆいらしく、自分で顔を掻いて傷だらけにする。

主人がアトピーやから、たぶんアトピーなんやろなって思った。

 

爪は切って切るところがなくてもキズになるから、やすりで磨いて角を落としていました。

髪の毛ふさふさやけど3カ月ぐらいです。

 

爪が伸びないように、毎日少しずつ爪を削っていてもやっぱり傷だらけで、検診とかに行くと、「お母さん、ちゃんと爪を切ってあげなさい」って言われるんです。

 

毎日少しずつ削ってるのに。ちゃんと爪を見てから言ってほしいって思った。爪、伸びてないのにどうやって切るって言うの?ってね。

 

肌が強くなるまで、しっかり保湿したらアトピーにならないって聞いて、もともと保湿はしていたけど、日中もずっと保湿するようにしました。

 

どうせ、ずっと抱っこしてるから。

顔に触れて、乾燥してるなって思うたびに保湿しました。

ほとんど一日中ずっと顔に保湿クリームとか塗ってました。

 

身体は、おむつ交換のたびに保湿。

 

これは多分、正解だった。

本当にアトピーなのか、まったくわからないほどにすべツヤお肌になったから。

きれいな肌になって本当に良かった。

満2歳。七五三の写真。タキシード版

 

七五三写真。着物版

 

肌がきれいでしょ?保湿効果!!

 

 

自治会の役員にもなる

上の子が3カ月の時に「来年、自治会のブロック長やから」って言われます。

 

こんなに小さい子がいて、絶対に無理やと思って、「とばしてもらえませんか?」って自治会の会議の場で言ってみたら、「じゃあ、来年やったらできるんか?」って言われます。

 

「そんなん一緒やわ…」そう思って、「じゃあいいです。」と言って引き受けました。

赤ちゃんつれて、自治会の役員もすることに。

 

主人に頼めば良かったのかもしれないけれど、そういうの嫌いだって知ってたし、「私がしないと…」って頑張った。

 

ちなみに、自治会の役員は、ブロック長、役員、と2年続けてしないといけなくて、2年目は妊婦になったけど頑張りました。

 

お盆の精霊流しとかも役員として出たんですけどね、ぶっちゃけ、妊婦なんかが行ったって、ほかの地区の人に気を使わせてるだけで役立たずって感じでしたね。

 

誰かが負担を背負ってがんばったって、良いことなんてないんだろう…って、そう思う。

 

でもね。

この時は本当に大変だったけど、自分がいるブロックでは、結構有名になりました。

 

だから、長く住んでいる人は子どもたちを見ると、「あの時の子、こんなに大きくなったのね~。」って見てくれる。

 

悪いことばかりじゃなくて、ちゃんとやったことは何かにつながってるんだって思う。

 

起こる出来事、自分がやったこと。

それらはすべてが今につながってる。

 

その時良かったことも、大変だったことも、すべてにおいて。

 

 

保育園を調べて、仕事復帰に迷いが…。

もともと仕事復帰を考えていたので、保育園のリサーチを始めます。

 

本当は妊娠中からした方が良かったんだろうけど、その時は仕事でいっぱいいっぱいだったから。

 

保育園、数件に電話して、見に行って、実際にお話を聞いて…ってしました。

 

職場では、私が休んでいる間に、私が働いているときは休みだった祝日も、仕事になるようになっていました。

 

保育園は祝日休み。

土曜日も、保育園は早い時間までしかしてなかった。

 

実際に保育園で話を聞いてみて、現実を見てみると、仕事復帰するためには、朝一に保育園に預けて出勤し、いつもしていた残業をせずにまっすぐ帰っても保育園最終の時間に間に合うかどうか。

 

しかも、土曜日は最後までしてない。

祝日は開いてもない。

 

一日24時間のうちの12時間保育園に預けるって、どうなんだろう?

しかも、毎日そんな感じなのに、運動会とかパートさん優先やから行けないかもしれない…。

それってどうなの???

 

すごく悩んだ。

 

でも、一人でも生きていける状態でないといけない…。そこは譲れない…。

 

そう考えていました。

 

結局、復帰する予定だった仕事はやめることにします。

 

今思えばね、この時に、職場に相談するってこともできたと思う。

でも、この時は一人で抱え込んでたんです。

 

相談してみるって考えはなかった。

 

とにかく条件に合う仕事を…と探し始める。

仕事を探し始めます。

 

とにかく条件。

できるだけ近くて、早くお迎えに行けて、残業なくて、それでも、正規雇用の仕事。

 

「これ、良いんじゃない?」そう思った仕事は、「商工会議所共済推進員」と書かれていました。

 

「商工会議所とか、安心そう!」

そう思った仕事は、ふたを開けてみれば、ただの外資系生命保険会社の外交員でした。

 

でも、条件が良かったから。

 

「ちゃんと研修があって、ちゃんとできるようになるから。」

 

「それなら…。」ってやってみることにします。

 

息子が一歳になる10月に保育園に入園させて、仕事に行き始めます。

 

…まぁ、結果的には全くダメでした。

私、営業がまったくダメで。

 

全然成績上がらない。

 

前日の夜に晩ご飯の用意をして、朝、準備をして保育園に連れていき、うまくいかない仕事に行き、仕事時間終了後にダッシュで迎えに行ってぐずる子をおんぶとか抱っこしながら晩ご飯を作って…。

 

それプラス、自治会の仕事。

それと、入院してしまった義父のところにも顔を出したり…。

 

めちゃがんばっていました。

 

10月から始めたそんな生活は、私の体に確実に疲れとストレスをためていき、12月、年末に休みに入ったとたんに40℃を超える熱を出して倒れました。

 

もう少しで41℃になりそうなぐらいの高熱。

それまで生きてきた中で初めてでした。

1週間ぐらい下がらなくて、何回か点滴に行きました。

 

今思えばね、そうやって熱を出した時とか、それ以外の時にも主人に助けてもらってたんですが、その時は多分…、「私が…私がしないと…」って一人で抱え込んでいました。

 

義父の死。

年明け、体調が何とか戻って仕事に行き始めたぐらいに、入院していた義父が亡くなります。

 

義母はいるけれど、喪主は主人がすることに。

 

はじめて、お葬式をする側のことを知りました。

と言っても、私はほとんど息子についていたんですけどね。

 

これから義母は一人暮らし。

 

これからどうなるのかなとか、私って、子育てが落ち着いたらすぐに介護しないといけなくなるんだろうな…とか、なんとなく考えるようになりました。

 

このころは本当にバタバタで、2か月後の3月に実家で暮らしていた祖母もなくなりました。

 

 

二人目妊娠と失業。

一番最初の妊娠が、服薬してだったから、二人目も服薬しないといけないのかな…と思っていて、二人目もほしいな…と思っていた矢先、すぐに二人目を妊娠します。

 

すぐにつわりも始まって、階段を3階まで登るだけで真っ青になるように。

 

職場に妊娠を伝えると、次の日にすぐに退職手続きの書類を持ってこられました。

成績も振るわない、妊婦なんかいらないんですよね。

 

「自己都合と、会社都合、どっちが良い?」ってめっちゃさわやかに言われました。

「今、契約予定になってる保険は、ちゃんとほかの人に引き継いでおいてね。」って。

 

私、退職するって言ってないのに、なんで自己都合なの?って感じですよね。

 

会社都合にしても、すぐに就労できない妊婦に失業保険がおりるわけなく、もちろん、新しく妊婦を雇おうとするような会社もあるわけなく。

 

私は、一番こだわっていたはずの、「ひとりでも生きていけるように」を失います。

 

「仕方ない。」「ずっと続けたい仕事ではなかった」そういう思いと、守っていきたかったものを失ってしまったけどどうしようもないいきどおりと。

 

妊娠中のホルモンバランスの乱れもあり、情緒不安定になりやすくなっていきます。

 

少しのきっかけでワーワー泣いたりするようになった。

携帯を壁に投げつけて壁をへこませてしまったこともあった。

 

 

生まれてくる子、愛せるのかなって不安に思うように…

お腹の子が生まれて仕事ができるようになったら、また働くつもりで保育園に行かせたままだったので、日中少しゆっくりできるようになりました。

 

その日々は、つわりと向き合う日々で、仕事しているときは大変だけど、その方が気がまぎれるようにも思った。

 

上の子はまだまだ大変で、たまにかんしゃくを起こして泣いて暴れたりしていたので、お腹をけられてお腹がはったりとかもよくあった。

 

でも、やっぱり上の子はすごくかわいくて、「この子のことをこんなにも愛しているのに、次の子、ちゃんと愛せるのかな?」って不安に思ったりするようになった。

 

…まぁ、結果的に、下の子が生まれてきてみたらめっちゃ可愛かったんですけどね。

気持ちが不安な時って、なんでも心配になるんですね。

 

 

二人目出産。さらに大変になる。

そんなこんなで、二人目を出産。

 

生まれてきた赤ちゃんは、上の子にそっくりでした。

つまり、私にそっくりだったんですが、この時は、「私と同じだ」とは思わなくて、「上の子と同じだ」って思いました。

 

上の子が赤ちゃんに戻って私に抱かれながら、私のことを見ている…。

そんな感じでした。

 

妊娠中、お腹がはったりして流産しないように薬を飲んだりしていたのだけれど、結局、予定日を過ぎても生まれてこなかった子。

 

そんな下の子は同じ日に生まれた双子の赤ちゃん二人分に近い大きな子で、3900グラムを超えた、しっかりぽっちゃりした赤ちゃんでした。

 

退院後すぐの危機。

退院後すぐにちょっとした危機的状況になります。

 

私ね、退院後、実家に帰らなかったんです。上の子もいるし、意外と産後の検診もすぐだからって、そのまま自宅に。

 

退院後自宅に戻ったところで、当時、「新型インフルエンザ」なるものが結構話題になってたんです。

 

我が家の主人は流行りものは高確率でもらってくるんですよね。

えぇ、ちゃんともらってました。新型インフルエンザ。

 

退院してすぐ、家の中にいるのが、インフルエンザで高熱の主人と、生まれたばかりの新生児と、2歳児と、産後1週間の私だけ。

こんな状況、どうするの?って感じですよね。

 

この時は、やはり近くに住んでいて一人暮らしの義母に助けてもらいました。

お宮参りの時

 

 

夜寝ない。ミルク飲まない。日中も抱っこしてないと寝ない。

夜は寝てくれた上の子とは対照的に、夜も全然寝ない。

 

哺乳瓶が嫌いで、ミルク飲まない。

日中ももちろん抱っこしてないと寝ない。

 

思った以上に大変でした。

 

夜に泣いたら、主人と上の子が起きないように、すぐに起きてあやし、ずっと抱っこしていました。

ずっと母乳で、出かけても絶対に母乳。

 

主人は上の子の時みたいにかまったりしなくて、赤ちゃんも主人になつかない。

 

体重の増え方が少ないって、3カ月の乳児検診も3回行きました。

「体重は少なくないけど、元が大きいから増え方が少ない」って。

 

そう言われても、どうしようもなかった。

ミルク飲んでくれないんだもん。

どうしろって言うの??って感じだった。

 

結局、3回目に行った3カ月検診の時、いつも行っているかかりつけの小児科の先生が、「まったく問題なし。」って言ってくれて、やっと乳児健診から解放されました。

 

いつもの先生で良かった。

 

 

 

一人、恐怖の夜。

まだ子供たちが小さかった当時、主人は夜勤があったので、夜いないことが多くあったんです。

 

私、娘を出産して退院した時に義母に助けてもらった流れで、最初のうちは夜勤の時に助けに来てもらっていたんです。

 

でもね、夕食を一緒にするわけでもなく、来てもらって、お風呂の間と寝るとき手伝ってもらって、朝に朝食も食べずに義母は帰って行ってたんです。

 

うちではお風呂も入らす、誘っても、「いいわ」って断っててね。

 

私、申し訳ないなぁって思ってたけど、いっぱいいっぱいで、もっと誘ったりできなかったから、もう、夜勤の日に声をかけるのをやめたんです。

 

一人でどうにかしようと思って。

 

それで、恐怖の夜がやってくることになります。

 

本当に怖い夜だった。

何とか二人をお風呂に入れて、ベッドに行って。

ベッドで耳を綿棒でくりくりするのが、子どもたちは好きだったんです。

 

それでね、上の子の耳を綿棒でくりくりしてたんです。

 

まだハイハイもちゃんとできないぐらいの、よたよたの下の子が近づいてきて、ガクッと綿棒している上に乗ったんです。

 

上の子が泣き叫んで、下の子も泣いて、私は震えながら綿棒をどけた。

 

綿棒は持ってて離さなかったかったけど、ある程度中に入った。

 

私ね、自分が片方耳が聞こえなくて結構苦労したから、自分の子どもたちは絶対に聞こえなくならないようにしようって思ってて、絶対におたふくかぜにならないようにって、1歳になってすぐに予防接種も受けさせてたんです。

 

それやのに、自分の不注意で、綿棒刺さってしまった。

 

めっちゃ怖くて、ぶるぶる震えた。

 

鼓膜破れてたらどうしよう…

 

震えながら、泣く息子を抱っこして、「ごめんね、ごめんね。」って何回も言った。

 

めっちゃ怖かった。

 

でも、私が落ち着かないと、子どもたちはもっと不安になるって思って、何とか落ち着こうとした。

 

ずっと抱っこして誤ってたら、泣き止んだ。

 

一瞬、救急とか呼ぼうかと思ったけど、落ち着いてきたし、今から二人連れて出るのも大変やから、とりあえず朝になってから耳鼻科に行こうと思った。

 

子どもたちが寝た後も、すごく、怖かった。

 

次の日、耳鼻科に行ったら、やっぱり鼓膜が破れてた。

 

結構大きく破れてて、

「場合によったら、ちゃんとくっつかない可能性もあります。その場合手術することになります。

まぁ、でも、まだ小さいから大丈夫でしょう。」

って言われました。

 

結局、ちゃんとくっついて治ったんですけどね。

本当に良かった。

 

下の子6カ月の時

 

 

正規雇用をあきらめる。

子どもが二人になって、あまりの大変さに、正規雇用をあきらめます。

 

パートじゃないと無理だなって思った。

 

もしも一人になるときは、その時に探したら良いやって思った。

 

でも、できるだけ早く仕事をはじめたかったし、体重の増えも少なかったしで、離乳食を早めに進めて10カ月から保育園に行かせます。

厳密に言えばまだ9カ月ぐらい。

 

そんなに小さいのに保育園に行かせるなんてって思う人もいるかもしれない。

でもね、このころは、仕事してないこと、自分が収入が全然ないこと、自分一人だけで子どもたちを育てていくことが不安でしかなかった。

 

厳密に言えば一人じゃないんだけど、一人で日中ずっと子どもたちを見ているのが怖かった。

 

だからね。

仕事に逃げてたって言うのも本当はあるんだ。

二人で泣いて、どうしたら良いんか…状態

 

 

 え?男の人ってこんなに力強いの??

最初に行き始めたパートはお弁当のルート配達だったんです。

 

会社とかにお弁当を届けるんです。

 

なんかね、調理の人って女性ばっかりなんやけど、配送って男性ばっかりなんです。

私、家でもご飯作ったりするのに、さらに調理なんて絶対に嫌やと思うから、配送にしたんですけど、めっちゃ男性ばっかりで、配送で女性は私だけやったんです。

 

正確に言えば、私と入れ替わりで女性がいてたけどいなくなっちゃって。

 

それでね、お弁当運ぶんですけど、持っていくのが会社とかやからすごい量でめっちゃ重いんです。

 

そこで、ほかの配送の男性を見て、「男性ってこんなに力強いんや!!」って思った!

 

私ね、男性の方が力強いのは知ってたけど、なんていうか、そこまで強いと思ってなかったんですよ。

私とそんなに変わらんやろ…見ないに思ってて。

 

何なら、その辺のほっそい男性やったら私の方が強いんちゃうかなとか思ってた。

 

それ、すっごい大きな勘違いやったと知った。

 

持てる量が全然違うの。目で見て明らかに違う。めっちゃ余裕で持ってる。

 

ここでね、主人に対して、「こんなに力強いのに、今までそんなに何もしなかったの?」って思いが湧き上がります。

 

なんせ、そんなに力の強さ変わらないと思っていたんで、私、結構重いものとかを動かすのも、頑張って自分でしてたんです。

 

妊娠中に一人でタンス買ってきて一人で運んだりとかしてた。

 

勝手に自分でしてたのもあるけど、「して。」って言ってもやってくれないから、「仕方ないな」って思って自分でやってたんですよね。

 

ところがどっこい、実はもっと力も体力もあるはずなんですよ。

あんなに苦労してやってたのは何なの?

ってか、なんで手伝ったりしないで平気なの??

 

これがきっかけになり、それまでに私の中に積もっていた不満に一気に火が付きます。

 

発火したらもう止まりません。

 

私が自分で勝手にやったこと、自分で選んでいたことなんだけど、不満の火はゴウゴウ燃え盛りました。

 

 

邪魔もの

ちょうどそのぐらいのころ、庭にある物置の場所を移動したいと考え始めます。

 

もちろん、私一人ではできません。

てか、たぶん、男性一人でも無理。

 

パート先で一緒に仕事している人に言ってみると、「行っても良いけど、旦那さんに言い。」って言われます。

 

なんかね、力仕事のために男手がいるときって、女性しかいないのなら別に女性が男手を手配しても良いけど、結婚とかしてたら男の人が男手を用意するべき見たいなんですよね。

 

それでね、主人に言ってみたら、めんどくさそうで嫌そうで、結局誰にも声をかけたりしてくれなかったんですよね。

まぁ、自分がしたいわけじゃないんですもんね。

 

それでも、私の中ではさらに不満が募ります。

 

私一人だったら、男手に来てもらって動かしてもらえるのに!!

いるから来てもらえないやん!!

なんて邪魔なの!!

 

苛立ちは募ります。

頭の中に、「離婚」という言葉がかすめ始めます。

 

でも、離婚ってなったら家とか仕事とかお金とかいろいろややこしい。

 

保険の仕事を経験したおかげで、私は遺族年金とかの知識がありました。

 

もうむしろ、事故とかにあってくれたら…家もあるし、遺族年金もある…

 

そんなことを考えるようにもなりました。

 

それと同時に、「もうこんな人生、イヤだな…。早く死んでしまいたい。」とも考えるようになりました。

 

私が死ぬか、主人が死ぬか、どっちかだ…みたいな感じでした。

 

でも、子どもたちが小さいから、今はまだ死ねない…。

そう思っていました。

 

まぁ、今思えば、私が死にたいって思うのは勝手やけど、人のことそう思うってどうなってるねんって感じですよね。

 

自分で自分を追い詰めすぎてたんです。長いことね。

ちなみに、このころの写真の主人は、とても疲弊した様子でうつっています。

人の呪いって怖いなぁ…。犯人は私やけど。

 

 

大きくなったら…

すごく自然に、意識せず、子どもたちに「早く大きくなってね。大きくなって一人で生きていけるようになったら、おかあ、死ぬんだぁ…。」とか言うようになっていました。

 

「お母さん、死にたいの?」

「うん。早く死にたいねん。」

 

そんな会話を息子としてしまっていたんです。

 

そんなある日、息子が義母に、「ぼく、早く大きくなるねん。大きくなったら、お母さん、死ぬねん。」そんなことを言ったんです。

 

私、それ聞いたとき、ハッとしました。

私、自分の子にこんなこと言わせてるわ!!って思って。

 

それで、このままじゃいかんって思った。

もっとしっかりしなあかんって思った。

 

 

話し合いと和解

話し合い…と言うか、私は離婚を切り出してみたんです。

 

もうなんか、イヤだなぁって思って。

 

それで話し合って、結局、離婚はしないで、いくつか約束事をして、やっていくことにしました。

 

とりあえず、和解はしたけど、なんだかどこかモヤモヤした気持ちが残ったまま過ごします。

 

 

脳動脈瘤の発見

配送の仕事はもうやめて、水道検針の仕事をしていた時のこと。

 

なんかね、目がちかちかすることがあるようになりました。

 

太陽とかを見た後に似た、ちかちかしたやつが、急に視界に現れてだんだん大きくなっていくんです。

それで視界が半分ぐらい見えなくなってくる。

 

「閃輝暗点」という症状らしくて、急にそんな症状が出るなんておかしいんじゃないかってことで、頭のMRIを撮ってみることになったんです。

 

そういうの、撮ってみてもどうせ何もないだろうって思ってたんです。

私、殺されても死なないからって。

 

それが、意外にも、脳動脈瘤が3つ見つかりました。

小さな、小さな脳動脈瘤。

 

脳動脈瘤って脳の中の動脈が薄くなって風船みたいに膨らんでいる状態なんです。

その薄くなっているところが破裂するとクモ膜下出血になって倒れるわけです。

 

それがわかった時、最初はね、子どもたち小さいし、手術とかなったらどうするの?とか思ってびっくりした。

 

でもね。

どこか、少し、ホッとしたんです。

 

なんだ、私、心配しなくても長生きしないやんって思った。

 

それからね、「早く死にたい」って思わなくなった。

 

心配しなくても、いつ死ぬかわからんような人やわって思った。

 

とはいっても、脳動脈瘤があっても気がつかずに普通に生きている人ってたくさんいるらしいんで、あっても普通なんですけどね。

 

破裂さえしなければ、何の影響もない病気…という感じ。

 

「閃輝暗点」は、脳動脈瘤とは直接的な関係はなく、おそらくストレスが原因だったようです。

 

 

地盤沈下で家が傾く

ちょうどそのぐらいのころ、屋根の瓦がズレてるってことで家を建ててもらった会社に連絡をして屋根の瓦を見に来てもらいます。

 

「屋根の瓦はズレてないし、ちゃんとできている」と言って帰っていきます。

 

私、納得がいかなかったんですよね。

屋根の瓦ズレてるって教えてくれたところの方が信用していて、「釘打ってないんじゃないか」って言っていたのに、「ちゃんとなってる」っておかしいんじゃないのかなって。

 

どうしても納得いかなかったんで、欠陥住宅とか見てくれる人いないか探して、近くにいることを知ってみに来てもらったんです。

 

屋根は、確かにぐちゃぐちゃやけど、欠陥住宅まではいってないかな…って感じだったんですが、その時に見に来てもらったのがきっかけで家が傾いてきていることに気がつきます。

 

ずっと住んでたら気がつかないものなんですね。

 

テレビで見る、傾いている家と同じように、ビー玉とかボールとか転がっていく家でした。

 

当時、築8年とかやったかな?

10年たってないから住宅保証機構から保険がおりるんです。

 

でも、その対象になる状態かどうかを証明するのが難しくて、家を建てた会社との戦いになるらしくて。

 

そうは言っても傾いているんだから、放っておくわけにいかにですよね。

 

建築会社との戦いが始まります。

 

 

偶然の選択が、すごい展開になる

建築会社との闘いに、私たちのような素人だけで勝てるわけがないですよね。

 

だからね、最初に調べた欠陥住宅かどうか見る人に調査して報告書を作ってもらったんです。

 

「すぐ近くやから、これだけで良い」って提示された金額は数十万で、決して安くはない金額だった。

それでも、私たちだけじゃ対応できないから。

 

建築会社の社長は、最初から女である私をバカにしたような態度で、さらに、私の方が前に出ている様子を見て、主人のことも明らかにバカにした態度でした。

 

…誰に対しても誠実な態度とかできない人らしい…。

 

そう思ったので、あえて本人が気がつくように、ポケットのボイスレコーダーのスイッチを押しました。

 

途端に表情が変わり、まともな受け答えができる人になりました。

 

こういうことしないと、まともな対応ができないような人やねんなって思った。

 

結論から言うとね。

私が最初に依頼した、欠陥住宅見る人が、実は兵庫県でもめちゃ有名なそういうの解決してる先生だったみたいで、住宅保証機構とかが入ったとたんにものすごいとんとん拍子で解決しました(笑)

 

もうね、建築会社の社長なんて、気の毒なほどに、無視に近い状態。

みんな、この調査結果は正しいから!って感じで一応軽く確認だけって感じ。

「先生は今日は来られないんですか?」とか言いながらサクサク進んで、修理してもらえることになりました。

 

偶然、何もわからずに依頼した人がすごい人やった(笑)

 

かかった調査費用も建築会社に支払ってもらえました。

 

めっちゃラッキーでしょ?

 

なおしてるところ。
レーザー光線みたいなので水平をはかります。

 

硬い地層まで柱を地中に打ち込んで、ジャッキで家を少しずつ持ち上げていって、ちょうどよい高さで固定します。

 

 

チャネリング・ヒプノセラピーとの出会い

なんだかんだで、一番苦しかった頃よりも増しに放っていたけれど、まだやっぱり気持ち的にしんどいなぁって感じだったある日、Facebookで姉がヒプノセラピーを受けてみたことをアップしているのを見かけます。

 

そう。

私、カウンセリングとかを受けてみようかとか調べたりもしていたので、どんなのだったか姉に聞いてみたんです。

 

それでも、短い時間で結構高いからビビってしまって踏み出せなくて…

 

悩んだ末、ヒプノセラピーよりも安価だったチャネリングを受けてみることにしたんです。

 

ってか、チャネリングって何??って感じだったんですけどね。

よく受けてみたなぁって思う。

 

チャネリングの前のカウンセリングでは、その時に気になっていることとか悩んでいることとかを話して。

 

チャネリングって、セラピストが私の潜在意識にアクセスしてメッセージを受け取って伝えてくれるんです。

 

一番最初に伝えてくれた言葉に私はめちゃくちゃビックリします。

 

それは、「なんかね、ぬかるみ?かなんか、地盤がしっかりしてない家に長年住んでて落ち着かないってくるのよ~。」って。

 

地盤沈下のことやん!!ってめっちゃびっくりした。

 

だって、工事終わったところやったから、その話は何もしてなかったんだもん。

 

なんで地盤沈下のことわかったの?って思った。

 

なんか、もっと誰にでも当てはまるようなことやったら「あぁ~」って感じで終わったと思うけど、地盤がしっかりしてない家って、そうそう誰にでも当てはまることじゃないでって思って。

 

それから、チャネリングとかヒプノセラピーの世界に入っていきます。

 

結果的に、チャネラー養成講座、ヒプノセラピスト養成講座、レイキもサードまで受講します。

なんかいろいろできる人になった。

 

そして、思いついたことを行動にうつすことも少しずつ増やしていきます。

すぐにごちゃごちゃ考えて実行するのをやめちゃってたけど、できるだけ行動にうつしていくように変えていった。

 

伊弉諾神宮の力? なんか急に許せた…

パワースポットに興味を持ち始めて、淡路島にある伊弉諾神宮がパワースポットらしいと知って家族で言ってみることにします。

 

その、伊弉諾神宮にね、2本の木が一本になってしまったっていう木があるんです。

とても大きなクスノキ。

 

その木のところに行ったときにね、急に、今までず~っと心の中にあったモヤモヤとか、許せない気持ちが、ふーっと消えていったんです。

 

なんか、急に許せるようになった。

すべてがとても小さいことに思えるようになったんです。

 

本当に、不思議な体験でした。

 

伊弉諾神宮って、夫婦円満の神様なんですよね。

 

夫婦関係うまくいってない人、ぜひ、行ってみてほしいと思う。

何かが変わるかもしれないよって。

 

 

結婚相談とか、おもしろいやん!

そんな淡路島旅行の帰り道、パーキングによって食事をしたんです。

 

その時に、ついてたテレビで、結婚相談所に行って相談して…って言うような内容がしてたんですね。

おもしろい!と思って。

 

その時は、もう水道検針の仕事もやめて、近くの老人デイサービスで相談員していた時でした。

 

そう。

福祉の仕事に戻っていたんです。

パートだったけど。

 

でも、その時はもう、その仕事も離れようとしていた時だったので、結婚相談所とかの仕事ってないのかなって探してみることにします。

 

探した結果、ちょうど、あった!と思ったら、結婚相談所のオーナー自体の募集だったんです。

 

それでね、悩んだ結果、やってみることにしたんですよ。

 

実は、それがブログを始めることにしたきっかけです。

一番最初に書いた、アメブロのブログがこの集客のためでした。

 

結果的に、この仕事は今はしていません。

 

そっか、このままで良いんだ!!

結婚相談のかたわら、ヒプノセラピストとしても活動をしようとして動きます。

 

このブログの一番最初も、ヒプノセラピストとしての活動のためでした。

 

活動しようとしているけれど、うまく集客もできないし、ずいぶんよくはなったけれど、やっぱり自分に自信がないまま、「何か足りない…」と思っているままでした。

 

そんなある日、ヒプノセラピーを習ったことろの講師の方と、スピリチュアルな活動もされている医師の方と3人で会ってみることになります。

 

そこで、私はやはり、「自己肯定感が低いから…」とか言ってたんです。

そしたらね、講師の先生が「そんなん、自己肯定感低いですけど、何か?って言っといたらよいのよ~。」って言ってくれたんですね。

 

それがきっかけで、私の中でいろんなことが変わっていきます。

 

そう、自己肯定感、低くても何も悪いことなんてないんですよね。

このまま、そのままで良いんです。

 

なんかね、悪いと思っていることとか、ぜ~んぶね、本当はほとんどがたいしたことなくて、何も悪くないことの方が多いんです。

 

そこから。

自分のいろんな部分、今までダメだって思ってた部分も、すべてを「これがあるから良いんだ」って思うように変わっていったんです。

 

そうすると、自分の周りとかもいろいろ、少しずつ、確実に変わっていきました。

 

 

自分の中にいた、傷ついたままの小さな自分との出会い

少しずつ自分を受け入れられるようになっていって過ごしていくうち、傷ついたままの小さな自分と出会うきっかけが訪れます。

 

それは、ヒプノセラピーのクライアント役で。

 

ヒプノセラピーを習ったところでは、卒業生や、現役で勉強中の人が、ほかの人の授業でクライアント役をすることがあるんです。

 

偶然それに行くことができるようになって。

 

たしか、年齢退行の授業ではなかったんですが、ヒプノセラピーで催眠状態にあった私は、傷ついて冷えきった、小さな自分に出会いました。

 

ビックリするほど冷たくってね、その子を助けたら、今の私も冷たくなってしまうかと思って少し怖かった。

 

でもね、冷たい小さな私は、「おいていかないで…」って泣いた…。

 

私の中に、傷ついたままの私がいて、その子は「私を置いていかないで…」って言ってたんです。

 

だからね、私は、自分の中に傷ついたままの小さな私がいるけれど、その子とも一緒に生きていこうって思った。

その子は時に、私を不安にさせたりするけど、それは、私の一部で、一緒に生きていくことが良いんだと思うんです。

 

 

傷ついた過去の自分ごと愛することは、自分を丸ごと助けることだった

傷ついた過去の自分と一緒に生きることは、時に急に不安になったり、ダメなんじゃないかって自分を責めようとすることがたくさんあった。

 

そのたびに、「大丈夫。だから私は良いんだ。こういうところがあるから、それが良い。」そう思うことをずっと続けていった。

 

そうするとね、不思議と、周囲に自分を責める人がいなくなっていった。

 

「大丈夫。」って無理に思おうとしなくても、ただ、「あぁ、今、不安なんだな…」って思うだけ。

それがね、いつの間にか、不安を感じることもびっくりするほどなくなって、怖いこともほとんど怒らなくなってきた。

 

なんかね、おもしろいことがどんどん起こってくるようになった。

 

 

同じ空を見ても、人によって違う空に見えているのかもしれないな…

まったく同じものを見たり、読んだりしてもね、人によって違う感想を言ったりするでしょ?

 

それって不思議だなぁって思って。

 

何だろう?まるで、違うものを見ているような…そんな感じさえするなぁ…。

 

そんな風に考えながらポカンと空を眺めてたんですね。

 

そしたら、なんか。

あぁ、例えばこうやって、同じ空を見たとしても、同じ空に見えてないのかもしれないなぁって思ったんです。

 

まったく同じ空を見ても、同じ空に見えてなくて、こうやって聞こえる音も、指の間を抜ける風も、すべてが違うことを感じて、すべて違うものを見ているんじゃないかなって。

 

きっと人は同じ世界を生きているようで、違う世界を生きていて、違うものを見ている。

 

そうなら、人の意見や、人にどう見られるかを気にするのってもったいないなって思った。全員が違うことを感じて、違う世界を生きるなら、自分しか感じることができない、自分の感じる世界を信じて生きていくのが一番良いに決まってる。

 

そう考えるようになりました。

 

その考えは、さらに、私を自由にして、自分を取り戻していくような流れを生み出すようになります。

 

喉に神様がいて、人を動かしたり守ったりいろんなことをしてるんじゃないかな?

チャネリングって、脳幹を使ってするんですね。

 

なので、エネルギーワーク的なものも、脳幹のあたりを意識してそこに集中してした方がうまくできたりするんです。

 

だから、もともと鼻とか喉の奥のあたりってなんか違う…って思っていたんです。

 

それがね、徐々に、喉の奥って神様がいるんじゃないかなって思うようになっていきます。

 

人って自分の意志で動いているつもりで実は何かによって動かされているらしいって言う話を知って、それってどういうことだろうって思って、調べてみたんです。

 

その話のおおもとはベンジャミン・リベットさんという脳科学者の人の実験結果からきているもので、実際に動く前に動く準備をする信号が出ているって言うことを知ります。

プラス、それからその行動を実際に起こす前に行動を変えようとするには十分な時間があることとかを知ります。

 

先に動く準備信号がでる原因とかその正体について、考えるようになります。

 

先に出る信号と、その行動を十分変えることができる時間があることを考えると、それをうまく意識していったら、もっと自分らしく楽しい人生にしていくことができるんじゃないかなって考えるようになります。

 

それは喉にいる神様がかかわってくるんじゃないかなって。

 

過去の傷みごと、輝いても良いんじゃないかなって思う

よくね、ヒーリングとかで、過去の傷みを癒して自分をもっと良くしていこうって考え方があると思うんです。

 

傷ついた過去を癒してなくす…と言うか、その過去を悪いものととらえて忌み嫌って、癒すことでなくしてしまおうとしなくても良いんじゃないかなって思っています。

 

そんな傷ついた過去も今の自分を形成しているひとつの要素として肯定的にとらえて、傷ついた過去ごと、その人が輝やいていけるような生き方を選択して行けたら良いなって思っています。

 

それがあるから、今の自分があって、今の自分がもっと輝いていける。

そんな風にとらえていけたら素敵だなって思うんです。

 

そんな活動をしていけたら良いな。

 

過去の傷ついた私事愛するようにしてきた今。

今。

私は驚くほど不安を感じることがない生活をしています。

 

もちろん多少の不安はある。

でもね、昔みたいにものすごい恐怖感はほぼない。

 

不思議と、人からは自信がある人のように見られ、なんとなくしていても、なんか面白いことがどんどん起こる。

 

そしてね、さんざんいろいろあった夫婦関係も、私が自分のことに集中して楽しんでいたら、全然問題ない毎日になった。

 

そりゃあ、人間なんで、「なんでやねん!!」って思うこともある。

でも、それぐらいなもので、基本的に自由。

 

私、今まで生きてきた中で、一番自由にしたいことでできてるかもしれないって思うんです。

 

子どもがいて、家庭があるから、できないこともある。

でも、驚くほどしたいことして、すごく自由。

 

それは、主人が私のしたいことを自由にして良いって言ってくれていて協力してくれているから。

 

こんな環境に慣れたのも、すべては過去の傷ついた自分ごと「こうだからこそ、良いんだ」って認めちゃったからだと思っています。

 

人って、自分のことをすべて認めている土台って本当に大切。

 

だから、私はこれからももっといろんなことができるし、もっとたくさんの人を巻き込んで、楽しい人生を創っていくことができると思う。

 

この記事を最後まで読んでくれたあなたもきっとこれから、驚くようなすごく素敵な変化が起こってくるはずですよ。

 

一緒に楽しみましょう!!

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