「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

同じような人生の壁に何度もぶつかる時に必要なこと

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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今まで生きてきた中で、「どうしてもここが壁になってうまくいかない」ということってありませんか?

「いつもここで引っかかってしまう。」

「いつもこれでうまくいかない。」

「いつもこうなってしまう。」

そんな風にいつも同じことが障壁になってしまうときに、つい思ってしまうこと。「これさえなければうまくいくのに。」「なんでいつも私はこうなってしまうんだろう…。」

 

いつも同じ悩みが起こって来て、嫌になってしまっていませんか?いつも起こる同じ障壁。それは、あなたが得るために必要なもののメッセージかもしれませんよ。必要があるから問題として目につく状態で現実に起こってきているのかもしれません。

落ち葉と赤い実

人生の中で超えていく必要のある壁もある

何度もぶつかってしまう壁というものは、多くの場合あなたの特性からきていることがほとんどです。偶然起きたものではなくあなたの持っているものが原因となって引き起こされているということです。

 

それは当然、人によって違います。考え方の癖やものの話し方、価値観などによって起きてるものもありますし、身長や体格などの外見的なもののこともありますし、得意なこと、苦手なことなどが原因になっていることもあるでしょう。そう感じていることは一つではなく、複数あるかもしれませんね。

 

個性とも言うことができるあなたの特徴から、毎回同じような壁を感じているのではありませんか?

 

その個性がなければうまくいっていた?

「これさえなければうまくいっているのに!」そんな風に考えていませんか?「普通の人は良いなぁって思ったり。「こんな気持ち、ほかの人にはわかるわけない!」そんな風に考えてしまうのも普通のことかもしれません。だって、それはほかの人はもっていない、あなた特有の個性であったりするからです。

 

私(筆者)自身にも毎回壁を感じてしまうことはいくつかあるのですが、その中のひとつに「耳が悪い」ということがあります。もともと幼稚園児だったころに左耳の聴力を失ったのですが、大人になっていつの間にか、聞こえる方である右耳も少し悪くなっていました。

 

もう、30年以上も耳が悪いわけですので、もう耳が悪いことが当たり前になっているのですが、やはり、毎回、そのことで壁にぶつかったと感じることが起こります。左は聞こえないので、左側から声をかけられても聞こえないのですが、普通の人はそんなことわかりませんので「無視された」と感じていたり、聞こえなくて何度も聞き直すとムッとされたりするんですよね。

 

聞こえないことを伝えると、分かってくれる人もいれば、困惑する人もいますし、嫌そうな顔をする人もいます。中には怒って嫌味を言うような人だっているんですよ~。本当にいろんな人がいるものですよね。

 

耳が悪いですので、大人数での会話は聞き取れないことがほとんどですので、大人数でいることは基本的に苦手です。宴会とかはだいたい会話に入れずに一人でぼんやりしています。

 

自分が一緒にいて会話している相手が正面にいて話している時に、聞こえる耳の側に知らない人が話していたりしたらそっちの方がよく聞こえてしまうので本当に話を聞きたい相手の話が聞こえません。聞きたい音の選択ができないし、音がしている方向もわからない、離れていると少し違う音に聞こえていたりする、という感じです。

 

もちろん、そんなことはほかの人にはわかりません。たまに、同じように片方耳が聞こえない人に会うととても共感しあえるのですが、多くの人は普通に両方の耳が聞こえていますのでいますから、それがどんな感じかは想像もつかないことですからね。

 

言われたら理解はできるかもしれないけれど、体感として経験することはできませんからわかることはできないのですよね。

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もしもその個性がなかったなら

壁にぶつかってしまうたびに感じる、「これさえなければ…」が、もしもほんとうになったらどうなんでしょう?今起きているような問題はなかったのでしょうか?

 

きっと今起きている悩みと全く同じ悩みはなかったとしてもほかの悩みがあったでしょうね。それも、同じように「これさえなければ…」と思うようなことが…ね。

 

私(筆者)自身、もしも両耳聞こえるままだったら全然違う人生だったかもしれないなって思います。ですが、もしもそうだったとしたら今の私じゃなかったなとも思っています。耳が悪かったから経験することになった痛みも、それがあるから今の私があるんですよね。だから、大きい意味で言えば、両耳聞こえる私は私ではない、ともいえると思っています

 

その痛みがあったからあなたになれた

痛みを知っている人は優しさも覚えることができます。だから、その嫌な経験のもとになっているあなたの個性は今のあなたの良いところも作っているものなんですよね。今のあなたの魅力も作っているんです。

 

極端な例を出せば、「ヘレンケラー」です。あの人は耳も聞こえず、目も見えなかった(正しくは病気で見たり聞いたりができなくなった)。それでも言葉を覚えることができた。だから多くの人に感動を与えることができたのですよね。あの人がもしも耳が両方しっかり聞くことができて、目も見えていたなら、世界中に感動を与えた「ヘレンケラー」ではなかったんです。きっと全く別の人生を歩んでいたことでしょうね。

 

それを越えるためにその個性を選んで生まれてきた

その個性をあなたが持っていることはもともとあなたが産まれてくる前に選んだものなのかもしれません。目的をもってその個性を選んでいる可能性があるのですよ。

 

産まれてきた時の目的は

もともと生まれてくるときに目的をもって個性を選んでいる、と考えることができます。その個性を活かしてみたり、それを乗り越えたり受け入れたりするためにあえて起こってくる壁なのです。

 

先ほどの「ヘレンケラー」であれば、全盲聾であるということですよね。それを乗り越えて活かすことであの人は輝いた。乗り越えて輝くためにその人生を選んで生まれてきたのではないでしょうか?

 

人は目的をもって生まれてくる、という考え方があります。その目的達成のために必要な要素としての壁なんですね。

 

人は成長するために生まれてくる

人は人間として生まれてくるのはその魂を成長させるためだと、シルバーバーチは言っています。シルバーバーチとはアメリカで交霊会で現れた霊なのですが、多くの教えを語っています。その中にあるのが「人は魂を成長させるために生まれてくる」です。

 

その成長に必要なものが人生でぶつかってくる壁なんですね。その壁があなたに必要だったから起こっている、ということなんです。特に何度もぶつかるような、あなたの特性に関することはそうです。壁を乗り越え、自分を成長させることができた人がそれを輝きに変えることができるんです。

天使のはしご

その壁に向き合ってみよう

毎回ぶつかって嫌な思いのする壁に向き合ってみましょう。いきなり向き合うのが難しいなら、少し考えてみましょう。それは今、どんな感じなのでしょうか?

 

起きていることを分解して考えてみましょう

今あなたに起きている壁はどんな状況ですか?少し、冷静に分析してみましょう。

まず、原因はあなたが思っている個性ですね。そして現状はどうですか?今、壁に感じていることのどのことが一番イヤですか?あなたを一番嫌な気持ちにさせているものは何でしょう?あなたを一番嫌な気持ちにさせているのはあなたの個性でしょうか?

 

たとえば、私(筆者)の場合で言えば、耳が悪いこと自体が私に嫌な思いをさせているのではありません。そこから起こってくる出来事に嫌な思いをしているのです。聞こえにくいことで相手が怒ったなら、その怒られた(怒らせてしまった)ということが私を嫌な気持ちにさせているのです。そこには「怒らせる気はなかった」とか「仕方ない」とかいう気持ちがあります。さらに、「聞こえにくいことは自分も不愉快」という気持ちがあります。

 

もっと細かく見てみると、そこには「怒られて悲しかった」や「わかって欲しかった」「受け入れられなくて悲しかった」などです。「好きで聞こえてないわけじゃないわ!!」と思っているんです。

 

こんな風にあなたも分解して考えてみてください。嫌な思いになったのはどのことに対してですか?そこから感じたあなたの想いは何ですか?その想いから感じるものはどんな感情ですか?

 

自分の気持ちを確認してからほかの視点を考えてみる

何がイヤだったのか、その時の気持ちを確認したら、それを「良い」とか「悪い」というジャッジメントするわけではなく、ただ、「これがイヤで、本当は○○が良かったと思っている」ということを受け止めてください。

 

そうしてから今度は別の視点から見てみましょう。

 

別の視点とは、あなたが嫌な思いをする原因になった行動をした他の人からの視点だったり、ただ、起きたことを客観的に観てみるとかです。

 

先に話していた私の件であれば、聞こえにくいことを伝えた相手が怒った場合であれば、怒った相手はどうだったかを考えてみます。

 

話した内容をきちんと聞いてもらえず、「きちんと聞いて欲しかった」「聞いてくれてなくて悲しかった」があるかもしれませんね。もしくは、「耳が悪い」と言われたことで、「自分が悪い」と責められた気分になったかもしれません。もしくは、怒ったように見えていただけで本人は怒っていなかったかもしれません。

 

事実は本人になってみないと分かりませんね。つまり、私が「相手が怒ったと感じた」けれどそれが本当に怒っていたのか、怒っていたとしてもそれが何に対してだったのかはわからない、という事実がわかります。

 

客観的な視点では、ただ、相手が話したことを私が聞き取れなかった。聞き取れなかったので「耳が悪いからもう一度…」と伝えた。伝えたときに私が相手が「ムッ」としているように感じた。でも、それは本当にムッとしていたのかはわからない。ということです。

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事実を確認したうえでどうあるのが良いのか

どう捉えても変えられない事実があります。それはさっきから例で出している私の例でいえば、「耳が悪い」ということ。この事実から聞き取れないことが起きる事実は変えることができないことです。

 

生きている中で起こる出来事には自分で変えることができること、つまり選ぶことができることと、できないことがあります。

 

選ぶことができることの中で、どうあるのが良いのかを考えることが大切です。変えられないことをいくら望んでも変えることはできませんが、変えることができることの中でどうしたいのかを見つけることが大切です。

 

変えることができないことを受け入れながら、変えることができることの中であなたが自身がどうあるかを選択していくことの中に人としての成長があり、何を選択していくかでより輝く人生にしていくことができるんです。

 

私の例で言うと、耳が悪いことはもうすでに耳鼻科にも行ってこれ以上は良くならないことがわかっていますので、これは変えられない、受け入れるべきことです。いくら聞こえるようになろうとしてもなりませんし、よく聞こえている人と同じになることはできません。

 

では、変えることができることは、それ以外の行動や起きた出来事への捉え方ですね。「怒った」と感じたというのはわからないことですし、相手の中のことですのでどうしようもありません。だから、「怒っていた」としてもそっとしておくしかありません。それで気にする必要はない、ということ。もしかしたらただ機嫌が悪かっただけかもしれませんからね。

 

どうしてもそれでうまくコミュニケーションが取りにくい相手だったとしたなら無理をして合わせようとせずに必要な範囲だけ関わりを持つだけにすれば良いことです。

 

相手の感情に振り回されるのではなく、自分自身がどうあるかをはっきりさせておくことが必要です。

 

無理なことをできるように変えようとするのではなく、受け入れる

大切なのは、変えることができない事実を変えようとするのではなく、それは受け入れてそれとともに生きていく方法を考えていくことです。無理して合わせるのではなく、できることやできる方法を見つけていくこと。

 

自分が無理せず楽な気持ちでいられて、自然と壁を感じずにいられるような方法を選んでいくことが大切です。

 

それと、変えることができることを「これは変えられないことだ」と決めつけてしまっていないか冷静に判断することが大切です。

 

余談ですが、「ヘレンケラー」は目も見えず耳も聞こえないのに言葉を理解できるようになった奇跡の人として日本では有名ですが、小さいころに視力・聴力を失って、「かわいそうだから…」と両親にとても大事に育てられていたヘレンを、両親からいったん引き離して言葉という概念や食事のマナーなどを教えた、家庭教師であるアニーサリバン(「アニー」は通称で、正しくはアン・サリヴァンらしいですが、私の中ではアニーサリバンという名前が印象が強く残ってしまっています。)がものすごく偉大な人だと私は思っています。『奇跡の人』という本の題名は実はアニーサリバンのことなんだそうです。本当に、そうですよね!

アニーサリバンは生涯ずっとヘレンのそばでヘレンを支え続けた、と言いますから、今で言うような「ワークライフバランス」というような考え方ではなく、本当にヘレンに一生を捧げた人なんだなぁと思います。

 

受け入れて一緒に生きていく先にあるもの

今回例にあげているのは私の耳のことであったり、「ヘレンケラー」であったりで、なんだかそういった障害だけのことに感じるかもしれませんが、その限りではありません。状況は違えど誰にでも人とは違う何か気になるものを抱えていてそれに壁を感じているものです。

 

それは、それを受け入れて乗り越えるために持っているものであって、それが苦しみのもとでもあり、そこから教訓を得ることができたり、喜びを得ることができるようになっているんです。それを受け入れて越えるために壁が存在しているのです。

 

その壁を乗り越える方法は、できないことを否定してできる人に合わせようとすることではなく、受け入れて、あなたなりの方法でやっていくことができるようになっていくことです。ですので、時には全く別の方法かもしれないし、今までやっていたことを完全にやめてしまうこともあるかもしれません。もしくは「無理だ」「ダメに決まっている」と思っていたような方法でうまくいくかもしれません。

 

その方法を模索していくことが必要なんです。

 

そうやって模索してあなたなりのやり方や生き方を見つけることができてきた時に、その壁は特に壁と感じないものになっていき、あなた自身が悩まされることなく楽しい人生にしていくことができるのです。それは「自由」や「解放」とも言うことができるのではないでしょうか?

まとめ

人生で何度も起きてくる同じような壁は、あなた自身の持つ特性を受け入れて今とは別のかたちを模索していくためのサインでもあります。

 

その特性を受け入れて無理のないやり方であなたらしく生きていく方法を見つけられた時に、今よりももっとあなたらしく自由に生きることができるようになっていきます。

 

ぜひ、あなた自身の心と向き合って、ほかの人のやり方に無理に合わせようとするのではない、本当のあなたらしいやり方を見つけてみてくださいね。

 

土出麻美(つちでまみ)

 

 

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