「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

コミュニケーション能力を高めるためにはカッコイイ自分を捨てよ!

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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コミュ障ってカッコイイ⁈

それとも??

 

こんにちは。最近いろいろしている土出麻美つちでまみです。

あなたは「コミュ障」って言葉にどんな印象を持っていますか?

 

おそらく、あまり良いイメージを持ってない人の方が多いんじゃないかなって思うんです。そんなことないですか?どう??

 

今回はそんな、コミュ障をカッコイイっていうようなこと、言っちゃいますよ~

自由な感性の持ち主?

 

「コミュ障」って「コミュニケーション障害」のことですね。コミュニケーションをとるのが苦手な人とか。

 

考えてみたらね、コミュ障って実はカッコイイことを選んだ時にそうなるのかなって思ったんです。コミュニケーションをとることの方がかっこ悪いって感じている人、実は多いんじゃないのかなって。

 

なにそれ?どういう意味??って思われるかもしれない。でもきっと私の考え方を知ったら、きっとあなたも「そうかもな」って思うだろうと思う。

というわけで、つまり、どういうことかについての紹介です!!

 

コミュ障ってカッコイイ⁈コミュニケーション取ることってカッコ悪いの?

コミュニケーションをとることってカッコ悪いと思いますか?

 

多分、そう聞かれたら、コミュニケーションとることをかっこ悪いなんて思っている人はいない!!って言うことでしょう。

 

だって、必要なことだって言われてるし。

もっとコミュニケーション能力高めたいって思っている人も多い。

 

でもでも!!

 

それってなんだか矛盾してるなって思うことに気がついてしまったんです。

この矛盾に気がつくと、みんな「コミュニケーション能力高めたい」とか言いつつ、潜在的にコミュニケーションとらないことの方がカッコイイって思ってるところあるんじゃない??って思ってしまうんです。

そんな矛盾点を指摘させてください!!

 

 

あえて伝えることはかっこ悪いのかな?

まず、思ったこと。

 

あえて伝えないで何かをすることの方がカッコイイって思っていませんか?

 

もしかしたら、外国の人とかは違うのかもしれない、私は日本のことぐらいしか知らないから。だけど、人って何か人にしてあげるとき、あえて伝える方がかっこ悪いようなイメージないですか?伝えないで、そっとする方がカッコイイって。

 

「○○しといてあげたよ」とか、あえて伝えること、なんか「良い人アピールしてるみたい」って感じちゃう部分、少なからずありません?

 

私はね、若干そういうところあったんです。「なんでわざわざアピールするの?」って思うところあった。

 

たとえばね、どこかの掃除したとか、靴をそろえたとか、そういう小さなこと、いちいち言わなくても良いんじゃない?って思ってたんです。

 

なんだか、良い人アピールしてるみたいだって。

いやぁ、「そんな風に思わないよ~。」って人もいるかもしれない。でも、「いちいち言わなくて良い」って思う人、少なくないんじゃないかな?

 

例えば、家族が欲しがってたものを買ってきてあげたとして、「買ってきてあげたよ~!」って伝えるよりも、そっと置いてあって気がついた方が良いんじゃないかなって思っちゃったりとかする部分あると思うんですよ。「いちいち言わない」みたいな。

 

それって確かに「あ!」って気がついたとき、うれしい。でも、気がつかなかったらわからなかったりするっていう、あやふやな部分もなきにしもあらずなことで。

 

何かしてあげたとき、伝えないと気がつかないことだってある。もちろん、言わないでサプライズプレゼントみたいにされることってとっても嬉しいけれど、それって絶対に気が着くことじゃないと気がつかなかったら意味ないというか…。

 

何が言いたいかって言うと、そういうことをあえて伝えることがコミュニケーションだと思うんですよ。サプライズも、伝わらなければそれは存在しないに等しい

 

でも、あえて伝えることより、あえて伝えないで、そっと実行していることの方がカッコイイって思っている人って少なくないと思うんですよね。

 

それってズバリ、はっきり言っちゃうと、あえて伝えることの方がかっこ悪いって思っている部分あると思うんです。それが良いとか悪いとか言うことじゃなくて。

 

 

感謝も伝えなきゃ伝わってないかもしれない。

逆に、してもらった側もね、「ありがたいって思って感謝してる」って思っていてもちゃんと伝えなかったりすること、多くあるのかなって思う。でも、それって言わないと伝わらない部分もあると思うんですね。

 

「ありがとう」を強制するのはおかしいけれど、「ありがとう」って言わなきゃ気がつかないことって多い。でも、あえて「ありがとう」って言うことが「他人行儀みたいだ」とか、「なんでわざわざ言うの?」ってなることも多いなって思って。

 

「ありがとう」って言ってなくても感謝してれば良いって思う人もいる。

 

言わないほうがカッコイイような風潮ってどこかしらあると思うんです。

 

でも、さっきも書いたけれど、あえて伝えることがコミュニケーションだと思うんですよね。

 

多くの人が「コミュニケーション能力高めたい」って口では言いながら、無意識的に「あえてコミュニケーションをとろうとしていくことってちょっとカッコ悪い」って思っている部分があるんじゃないかなって、そう感じるんですよね。

 

そんなこと、ないですか?

 

いろんな人に話しかけている人のこと、「八方美人だ」なんて感じている人、いませんか?

…いや、そんなこと思わない人ももちろんたくさんいるんだろうけどね。

 

 

コミュ障ってカッコイイ?

つまり、言い換えると、無意識的にコミュ障って言われる人の方がちょっとカッコイイように思っている部分あると思うんです。それが良いとか悪いとか、そういうことじゃなくて

 

だって、「これ、やっといてあげたよ~。」って言える人と、それが言えなくて、そっとやっておいたけれどそれを「やっといたよ~」って伝えられずにいる人、どっちがコミュ障ですか?って言ったら間違いなく伝えられない人の方なんです。

 

「やっといてあげたよ~。」って言えたらコミュ障じゃないですもん。でも、その方がちょっとカッコイイって思っている部分、あるんです。

 

でも、別に良いと思うんです。あえて伝えずにやってあげるって、実際、確かにカッコイイ部分あると思う。だから、コミュ障ってカッコイイって思っていても良いと思うんです。

 

それって、「自分はコミュ障だからダメだ」って思ってしまっている人が、「自分ってカッコイイ」って思えることだから。

 

 

コミュニケーション能力を高めることは「カッコ悪い」って思われることも超えていくことだろうと思う。

「コミュニケーション能力をもっと高めたい」そういう人は少なくありません。

 

コミュニケーション能力を高めることとは、「カッコ悪い」って思われるかもしれないことをできる能力でもあるのかなって思うんですよ。

 

ここまで紹介してきたみたいに、あえて伝える方が「何?良い人アピールして。」って思われたり、「いちいち言ってくる」とか言われることもまったくないわけじゃない。

 

「余計なお世話だ」とかだってある。そういう可能性もある中で、あえてそれをやっていくって言うことは、「カッコイイ自分」じゃいられないかもしれないんですよね。

 

積極的にコミュニケーションをとっていくことは、少なからずそういうことが起こる可能性があって、たぶん、コミュニケーションが苦手っていう人はそれが怖くてできないんだろうと思う。

 

だって、それが起これば、きっと傷つくかもしれないから。

 

きっと「コミュニケーション能力高める」ってそこを超えていくことなんじゃないのかなって思うんです。「あの人だからできるんだ」とかではなく、みんなそんな可能性がある中、実行できるかできないかの違いかなって。

 

それができるから良くて、できないからダメっていうような批判したいんじゃないんです。

 

ただ、「コミュニケーション能力上げたい」って言っている人が、もしも、あえて伝えることを「カッコ悪い」って思ってしまう部分あるのなら、その先に進むことは難しいんだろうなって思う。

 

だって、しちゃったら自分自身がが批判している人にならないといけないんだもん。そりゃ、嫌だろうなって。

 

でも、視点を変えればそうやって積極的にコミュニケーションとっている人もカッコイイわけで、結局はどんな風に見るかの違いだけなんだったりするんですけどね。

 

あなたはどっちになりたい?

 

人ってないものねだりで、自分のない部分持っている人がうらやましいって思っていたりする。

 

けれど、気分の気持ちをよ~く掘り起こしてみたら、「なりたい」って言ってることに実は「イヤだな」って思っている部分があって、結局今の自分のままの方が良いって思っていたりするもの。

 

そうは思いませんか?

 

 

結論。コミュニケーション能力が高いことも、苦手なことも、どっちが良いのかはどう見るかによって違う。

結局。

 

コミュニケーション能力が高い方が良いように言われているけれど、無口な方がカッコイイ良いように思っている部分もあるんですよ。

 

だから、どっちの方が良いのかって、何を基準に見るかで変わるんです。

 

でも、もしも、「コミュニケーション能力が低いから、高くなりたい!!」って思うのならば、かっこ悪いこともできる勇気が必要なんじゃないかなって思う。

 

無理してそうなろうとするんじゃなくて、何かになろうとするのではなく、今の自分を受け入れて、自分に自信がついてきたときに自然とそうなれているのが一番良いのかもしれませんね!!

 

何かになろうとしなくても、そのままでもあなた自身に価値があるって気がつけたら良いなって思います!!

 

というわけで、今回はここまで。

 

それでは~。つちでまみでした。

またね!!

 

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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