「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

喉に神様がいると思っているけどチャクラとかには興味が持てない

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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あなたには「それ、特に興味もてないわ」ってことがありますか?

 

興味が持てないものがない人なんていないか…。どんなに好奇心旺盛な人だって興味ないものはありますよね。

 

私はですね、チャクラとか、あんまり興味ないんです。いや、嫌いでもないけど。今のところそんなに興味ないんですよね。(今後興味をもつ可能性が全くないとは限らないけど…)

 

 

スピリチュアルも、好きっちゃ好きだけど、興味があることと興味がないことの差が激しくてね。魂がどうとか、生まれ変わりとか、そう言うのの方がおもしろくて興味があるんです。

 

でも、「チャクラが…」とか、「宇宙が…」とかは、「そうなんや~」程度。おもしろいっちゃおもしろいんだけど、もっと深く知りたい!!ワクワクする!!ってまではいかない。

そして、すぐに内容を忘れちゃう…

 

つまり、そこまで興味ないんですね。

 

おもしろいとは思うけど、「へ~。」程度って感じかな…。

 

 

ちなみに、チャクラってのは人間の身体にあるエネルギーが出てるところか流れてているところの中心?って感じで全部で7か所あるらしいです。

 

 

でも、魂とか、生まれる前とかはおもしろいと思っているから、それには興味があって。魂とかの話の延長として、「喉に神様(喉神のどがみ)がいると思う」って考えが出てきているのですよ。

 

いえ、詳しい人からしたら、「それ、全部つながってるから」って感じなのかもしれないんです。これから興味を持つポイントが現れてめっちゃ興味津々になるかもしれない。

 

けど、今のところそこまで興味なくて「へぇ~。」って感じなんですよね。とか言いつつ、レイキヒーリングとかチャネリングとかはできたりもするけど…。

 

てか、そう言うの、全部に興味持ってないとダメなの?って。

 

ダメなの?って思いつつも、自分の中で興味のあることに温度差があることが、なんか、スピリチュアルが好きって人に申し訳ないような気もするんですね。

 

 

私が言ってることって、スピリチュアル…なのか…?みたいな。なんかよくわからない。

 

正統派(?)の人に怒られそう…💦 何をもって正統派というのかわからないけど…

 

 

「喉に神様がいる」って思っている内容

 

喉に神様がいるって思っている内容は、「宇宙が…」とか「神が…」とか、「喉のあたりは第〇チャクラで…」とかそういうことではないんです。

聞く人によっては同じに聞こえるのかもしれないけど…私の中では違うんです…(;´Д`A “`

 

 

喉の奥のあたりって脳幹があって、ちょうど人間には重要な部分。二つある脳が一つになっている部分。

 

しかも、喉仏って、仏様のかたちの骨あるやん!!っていう、人間の身体に物理的に存在しているもの部分から、そこに、人をつかさどって守っている神様がいるんじゃない?って考えついたんです。

 

 

その人を守っている神様とは、人の魂で、それが身体に入ることによって一人の人としてなっているっていう考えからの私の思想なので、そこに「それって第〇チャクラだね」って言われてもわからないし、聞いても第何チャクラかとか覚えられない…(;^ω^)

 

 

チャクラって何ですか?

もしかして、茶色いラクダのこと??みたいな…。(茶色いラクダやったらチャラクやけど…)

 

 

宇宙とか、気とか、エネルギーとか…そういうのもあるんだろうし、まったく興味がないわけではない。おもしろいと思うんです。だけど、それより人体の方がおもしろいって思うんですよ。私は…。

 

 

だから、「哲学者のデカルトが松果体に魂があると考えて研究した。」とか、知った時の方がおもしろいって感じるわけなんです。

 

「え~!!それって喉神のことでしょ?さすが!!デカルト!!」みたいに、ちょっと謎の上から目線で考えたりして楽しくなるんですよね。

 

なんか、ロマンがあるっていう感じがする。

 

ここをもっと掘り下げたら、新たなる道の世界が開けていくんだ…みたいな。

 

 

 

現実味のないことよりも、現実的な部分からとらえていきたい

 

宇宙ってか、神羅万象とか物事の流れとか波動とか、そう言うのもあるだろうと思うし、そう言うのにつながっていくんだろうけど、そういったずっと自分から離れたことよりも、もっと自分に近い部分、身体がとか心がとか、そう言う部分から見ていけた方が楽しいんじゃないの?て思うんですよねぇ。

 

 

宇宙も神羅万象もいろんなことって現実味がなくてなんだかふんわりしていてよくわかりにくいし、そればっかり見てたところで、どこか遠くの世界にあこがれているだけの状態になりそうじゃないですか?そんなことない人もいるのかもしれないけど…。

 

わからないけど、私はそんな気がするし、もっと自分に近い、身体とかいうようなもっと身近なものから自分について考えて、そこから、魂とか、よくわからない世界もとらえていけたらいいって思うんです。

 

よくわからないものを否定しているわけではなく、それはそれで良いんだけど。

 

てか、まぁ、ただ単に好みの問題なのかもしれない。理屈っぽいことは後付けの言い訳で。

 

 

私は、ちょっと理科っぽい人体とかから考える方が楽しいって感じかな…。

 

 

そうそう、昔、学生の頃かな?

 

大阪の梅田で「人体の不思議展」ってあったんです。それ、見に行きましたよ。すごかった。

 

ホルマリン漬けの人体?の模型?とか、そんなのが展示されてて、「ぎゃ~!!もう、たらこのスパゲッティ食べられへん~!!」とか言ってたんですけどね。

 

それでも、そんなこと言ってたのに、普通にたらこのスパゲッティ食べてますよね。

 

 

まぁ、そんな感じで人体とか、なんか生物っぽい内容の方が好きだったりする。

 

子どもの頃、得意な教科は理科と国語でした。…理系でも文系でもない、中間です。

 

 

ちなみに、性格的に「男性か女性か」というと、中性です。(聞いてないって?)もっとはっきり言うと、男性顔負けの、男性っぽい部分と、女性っぽい部分の両極を持っているタイプです。

 

どっちかに決まってないとダメなの?って思う。

 

 

とまぁ、だいぶ話がそれましたが、こんな感じで物理的に認識できるものから考えるのが好きです。

 

 

 

スピリチュアルって何なんだろう?

 

なんで今回こういう記事を書いたかの理由は、なんかこう、私が書いているブログの記事とかってあんまりスピリチュアルっぽくないことが多くて、でもたまにスピリチュアルっぽいこともあって。

 

「どんなブログ書いてるの?」って聞かれたときに、スピリチュアルなのか、心理なのか、よくわからないなぁって自分で思うんですよね。

 

 

でもスピリチュアルって言葉の本来の意味って「精神性」とか「宗教性」とか、言うような意味なんですよ。つまりどういった思想を持っていて何を信じているかっていう意味なのかなって私はとらえたんですね。

 

そう考えたら私の思想を書いているからそういう意味でスピリチュアルなんです。

 

でも、もっと人からわかりやすいかもしれない表現は「エッセイ」なのかな…。それでも、「エッセイ」って言われて「あぁ、エッセイね!!」って意味がわかる人ってそんなに多くないんじゃないのかなぁ?とも思ったり。

 

ちなみにエッセイって、形式にとらわれずに個人的観点から物事を論じている文なんだそうです。

 

そう聞いたらこのブログ、エッセイだわ!!

 

 

あれ?じゃ、スピリチュアルってなんだ??

 

 

考え方とか、思想の種類のひとつがスピリチュアルで、自分の思うことを書き綴るのがエッセイって感じかな?

 

 

 

みんなが自由に自分の好きな思想を信じていて、それを認め合えるのが良い

 

日本では、個人がどんな思想を持っていて、どのように表現することも自由であるということが憲法で保障されているので、こうやって私のように自由に好きなことを考えて、好きに表現することができるんです。

 

 

というわけで、私が、喉に神様(喉神のどがみ)がいるんじゃない?とか考えているけど、チャクラとかにはそんなに興味がなくて覚えられなくても、私の自由ってことですね。

 

 

逆に言えば、「喉に神様とか言っている人=スピリチュアル好き=チャクラとか宇宙が好き」って考える思想を持っている人も、そのように考えていて良いという自由があるってことだ。

 

 

みんなが自分が「こうだ」と思っている思想を、誰も侵害されることなく、みんなで認め合っていけることが一番良いですよね。

 

どう考えてたらこういう分類だ!!って明確に絶対的に分ける必要もない。どれに分類するのが正しいとかも完全な答えってとても難しいものだと思うんです。ハッキリ言っちゃえばないのかなって。

 

 

何か一つのことをすごく信じている人が、ほかの誰かに合わせる必要なんてなくて、逆に、そうでもない人がすごく信じている人に合わせる必要もない。

 

 

例えば自分が絶対にそうだと思っていることがあっても、それはほかの人からしたら絶対に違うと思っていることでもある。

 

 

そう言うことがあっても、強要することもなく、別の考えの人を批判するでもなく、それぞれが認め合っていけたら良いのになって思うのでした。

 

 

それでは。

土出麻美つちでまみでした。

 

またね。

 

 

 

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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