「喉神」という違った視点から自分をとらえなおすことで個性や特性(自分らしさ)を受け入れて望む生き方を創っていく。土出麻美のエッセイブログ

みんなと同じじゃないとダメ?違うよ、人それぞれ違うもの

 
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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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私が今回、この記事を書こうと思ったのは、Facebookを通じてこんな記事を目にしたからです。

 

4本の指でうまれてきた私が、【自分なんて】と悩むあなたへ伝えたいこと

 

この記事は私にとって、とても衝撃的でした。なぜなら、生まれつき指が足りなかった人に今まであったことがなかったから。

 

この記事になるように手のひらがわかれた状態出生まれてくることがあるという事実を初めて知ったからです。

 

私の母方の祖父は事故で右手の人差し指と、中指も途中までを失っていたんですね。

 

幼いころ、両親から離れて一人で泊まりに行ったりしていた私は、おじいちゃんの指がないのを見ていたので、指がなくなってしまっている人を見ることがあっても特に何も思わなかったんです。

 

ですが、私が知っていた指のない人っていうのは手の甲の部分には指につながっていく骨の存在はあったんです。

 

だから、この記事に書かれているように骨もない人がいることをはじめて知ったのでした。やっぱり、私自身の知っている世界なんて狭いんだなぁって思いました。

 

いや、足がない人とか腕のない人、耳(耳介)がない人とか、いろんな人がいるんだから、指の数が少ない人もそりゃあいるだろうけれど、でも、知らなかった。

 

それとこの記事に書かれてることにとても共感することがあったんです。

 

それは、「人と違うことが普通」と書かれているところです。ほんと、そうだと思うんです。世の中には全く同じ人なんていなくて、絶対に違うんですよね。

 

なのに、「出る杭打たれる」みたいに、人と違う人を「おかしい」みたいに言ったり、のけ者にしようとしたりする。

 

それってどうなのかなぁって思うんです。だから、この記事を書くことにしました。

 

 

人と違うことってあたり前のことなんだよ。何で、みんな同じと一緒じゃないといけないように思うんだろうね。

みんなと同じじゃないとダメっていうのって、小さいころからよく言い聞かされて育ちませんでしたか?私は小さいころ、かなりそういわれて育ったように思います。

 

だから、 みんなと同じようにできないと注意されていたし、「あの子はこうなのにあんたは…」なんて、よく言われていました。

 

人と違うことで良いとされるとしたら、テストの点とか、何か良くできることとか?

 

いわゆる優等生的なこととか、大人の都合の良いこととかぐらいだったんじゃないかな?基本的には「ダメ」って言われて叱られていたように思います。

 

みんなと同じにできないと比べられて怒られる…。

 

それが小学校中学年くらいになると、同級生からも言われるようになる。

 

私は、私自身が結構ボーっとしたタイプの人間だし、幼稚園時代に難聴になった影響もあって、けっこう言われた気がします。

 

ちゃんと聞こえてないことを言われたりしました。今思えば大したことないようなことでも、その頃はとてもイヤだったことを覚えています。

 

 

みんなと一緒じゃないと認められない??

結局、成長段階の一番多感な時期って、「学校」って言うものすごく偏った世界で、そこでみんなと同じようにしていないといけないって教えられて育つんですよね。

 

そこでみんなと同じにできない子やみんなとちょっと違う子とかは「あの子違うよね」って言われて育つ。

 

そうやって「あの子違うよね」って言われているのを見ている子も、自分がそう言われることが怖くて、できるだけみんなに合わせるようにして生活していく。あたかも、それが当たり前かのように…。

 

でも、それって実はみんながみんなで自分の首をしめていることでもあるんでよね。

 

だってできるだけみんなに合わせるようにして、自分を抑えていくわけだから。

 

 

本当はみんなそのままに自分を認めてほしいと思っているのに

みんなで「あの人ちょっと変わっているよね。」「あの人普通と違うよね。」って言って仲間意識を強めるようで、そういう風に言うことでそういった人も他の人と合わせたり一緒にしていないといけないようになっていくんです。

 

それでも、本当はそんな風に言っている人も他の人に合わせている状態じゃなくて、素のままの自分を認めらたいって思っているんですよね。

 

人には誰でも承認欲求っていうのがあって、「自分が認められたい」と思っているから、誰でも自分自身を認められたいはずなんです。

 

でも、特に日本では「出る杭打たれる」と言うように人と違っていたり目立つことをしたりしたら、ダメって言われるんです。そういわれて育っているから、みんなそうだと思っているんです。

 

でも、本当は、誰もが違うんですよねぇ。

 

逆に、どこも同じところなんてないんですよね。

 

背の高さも違う、体型も違う。同じ身長、体重でも、体型は違うかったりするし、声も違う。

 

同じ日本人でも、人によって髪の色も肌の色も違う。性格も、考え方も、動きも雰囲気も違う。好きなものも違う。

 

同じ人なんていなくて、みんな違っていてあたり前なんです。

 

それを認め合うことができたほうが、よっぽどたくさんの人が楽になって、よっぽどたくさんの人が自然体でいることができて、幸せになれるのに。

 

 

人って分けるのが好きだなぁって思う。

人って分けるのが好きだなぁって思うんですよ。男性・女性とか、人種とかいうものから血液型、星座…。ものすごくたくさん種類があって、すぐに分けたがるなぁって思うんです、私。あなたはそう思ったことはないですか?

 

私、あんまり分けるの好きじゃないんですよ。いや、ネタとしての占いとか、分析は好きなんですけどね。でも、「○○の人は△△だ」みたいに固定するの、好きじゃないんです。そういう傾向があるってだけで良いんじゃないかなぁって思っているんですよね。

 

だから、私のブログには「○○の人」っていう固定した種別のようなものがありません。決めたほうが良いって言われるんですが、固定したくないんです。誰でも、みんな同じで、誰でも悩んだりすることもあるし、調子よい時もある、と思う。

 

みなさん、「動物占い」ってご存知ですか?多分多くの人が知っていると思うんですが、その開発をした人で、四柱推命の研究家だった人がいるんです。、個性心理学とか個性學とかのもとになっている研究とかされた人でそういった人の研究されていた人。「増永篤彦」さんって方なんです。その方の書いた本はもうプレミアがついていて、書かれている本に載っている占いとか鑑定みたいなのはめちゃくちゃ当たっているらしい。

 

で、その「増永篤彦」さんが書かれていたという言葉にものすごく共感しているんですよ。

それがこちら

人間をタイプに分類しようと思えば、最低2分類、最高は無限にまで可能である。

そして、10や20の分類にしたところで、あてにはならない。複雑な人間をその程度に分類することは妥協の産物であり、思考のマンネリであり、頭の垢だ

引用元:個性學、サイグラム、素質論、ライフサイエンスと四柱推命の関係

これ、本当にそうだと思うんです。

 

多くの占いだったり鑑定だったりって、統計学で間違ってはいない…というか、当たっているんだろうけど、必ずしも当てはまるわけじゃないし、それって人のほんの一部であってその限りではないと思うんですよね。人はそんな単純なものじゃないだろう!!って思う。なんで分けたがるのかな…。

 

理解するためだけのツールとしてなら良いと思うけど、分ける必要はないと思うんですよね~。

 

思考も、好みも、生き方も、人それぞれであることが良いんだ

とまぁ、私はそう思うんですが、私と同じように思う人もいれば、「そんなことない!!」って思う人もいるわけで、それって人それぞれなんですよね。それで良い、人それぞれで良いって思っています。みんな、自由に自分が「これだ!!」って思うことを信じていれば良い。

 

最近、よく言われているので思うことが「女性性の時代」って言う話なんですが、それも、私は「あえて男性・女性に分けなくて良いんじゃないのかな」って思っています。なぜなら、男性でも女性っぽい人もいれば、女性にも男性っぽい人もいるから。

 

だから、男性・女性でたとえるんじゃなく、ただ、「競争社会」と「共生社会」って表現だけで良いように思うんですよねぇ。私はね。それでも、「いや、違う!!」っていう人もいるんだろうと思いますが、まぁ、そう思う人はそうで良いんじゃないかな??と思います。

 

でも、もしも、「絶対に違う!!」ってムキになる人がいたとしたら、その人は逆に、まだ「競争世界」にいるんじゃないかな?だからそこで勝たないといけなくなってるんじゃないかなって思うから。

 

でも、それも別に良いと思う。その人が「これが良い」って思えることを「これが良い」って信じていられる世界が良いと思うんです。あなたはどうですか?

 

私たち大人から一人一人違う個性を認められるようになれば

子どもは成長していく段階で大人の影響を大きく受けますよね。だから、私たち大人から、一人一人それぞれ違う個性をもっと受け入れて認められるようになっていったらすごくいろんな人が生きやすい世界に変わっていくと思うんですよ。

 

だから、大人から変わっていけば良い。大人が、違う人を変な目で見たりしない。人それぞれって感覚でいる。

 

あと、一番大切なのは、大人が自分のことを認めることだと思うんです。自分のことを認めることが一番大事です。そうじゃないと、他の人を「人それぞれ」って寛容な視点で見ることができないですからね。

 

だからやっぱり、今この記事を読んでくれているあなたがあなた自身のことを認められるようになってくれたらうれしいなって思います。そうしていくと、社会がいろんな人にやさしい社会に変わっていくと思うから。

 

土出麻美(つちでまみ)

 

 

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「Yes★喉神サマ⁈」の著者。 小学生と中学生の母親で義母のお世話もしている主婦。 社会福祉士の国家資格を持ち、福祉施設や行政機関で支援員・相談員の経験あり。結婚出産育児をきっかけに自分の心の闇と向き合うことになり、それがきっかけでヒプノセラピーやヒーリングなども学んだ。 県の男女共同参画アドバイザー養成塾を修了。
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